まことか、うそか、あること、ないこと、てきとうに。話半分でご覧ください。 
2013年12月26日 (木) | 編集 |
今年も、日本国中を、あらゆる日本人を巻き込んだクリスマス狂騒曲が終わった。

本来キリスト教徒以外には何ら関係ない日であり、なぜそこらへんのおっさんまでもが「メリークリスマス!」って大騒ぎするのか全く解せないのだが、寒風吹きすさぶ街中のあらゆる場所にミニスカサンタ姿の可愛いお姉ちゃん達が溢れだす光景はたまらなくグッドなので、まぁ良しとしよう。しかし、なんでミニスカサンタお姉ちゃん達はあんなにかわいいのだろう。「ゲレンデのお姉ちゃん達は街中よりも5倍可愛く見える理論」を適用したいくらいに可愛い。その一方、手当たり次第にビラやチラシを配りまくるバイト野郎はただでさえ鬱陶しいのだが、トナカイ姿でこれをやられると普段の20倍以上鬱陶しい。

さて、クリスマスとは一体何の日なのだろう。改めてこう問われると、仏教・神道・キリスト教・無宗教等の各教義上重要な習わしやしきたりの上辺だけいいとこどりする日本人の中で、簡潔明瞭に回答できる人はそれほど多くないのではなかろうか。

クリスマスとは、生まれてすぐに四方に7歩ずつ歩き、右手で天を指さし左手で地を指し「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」…、これは失礼。お釈迦様と福沢諭吉が混ざってしまった。ちなみにお釈迦様は「天上天下唯我独尊」と仰られ、誕生日である4月8日は花祭りとしてお祝いされている。また「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」は一万円札の肖像で有名な福沢諭吉が記した明治期の大ベストセラー「学問ノススメ」の冒頭の一説である。余談ではあるが、慶應義塾においては福沢諭吉の命日(2月3日)を「雪池忌」と呼び、この日に墓参すると絶対に落第しないという伝説により、落第ラインギリギリの塾生たちが大挙して福沢の眠る麻布山善福寺に押し寄せるらしい。だが、その場凌ぎの行いで落第を回避できるほど世の中は甘くない。きっも福沢先生も情けない塾生たちを前に知らんぷりを決め込み、「寝たふりしてる間に出て行ってくれ~♪」と「勝手にしやがれ」を口ずさんでいることだろう。あ~あ~♪

かなり脱線してしまったので話を元に戻そう。クリスマスとはイエス・キリストの降誕、つまり誕生を祝う祭り(誕生日ではない)なのだそうだ。仏教でいうところの花祭りとほぼ同じ意味合いを持つ日といえそうなのだが、4月8日に日本国中を巻き込むようなバカ騒ぎやライトアップでピッカピカ…なんてことはまるで聞いたことが無い。ま、本来ならクリスマスだってバカ騒ぎやライトアップでピッカピカという類のお祭りではなく、教会で静かに祈りを捧げる日なのかもしれないが…。

ではなぜ古来から仏教の影響を色濃く受けている日本で、花祭りよりもクリスマスの方が広まっているのだろうか。

様々な理由が考えられるが、食す物の違いを1つ目の理由に挙げてみたい。花祭りでは甘茶を飲む。お祭りなのに酒ではなく甘茶なのである。甘いといいながらなんとも渋~いお祝いの仕方である。一方クリスマスは七面鳥にシャンパンという豪快で派手なお祝いの仕方である。普段は勤勉実直ゆえに、ひとたびお祭りとなると酒飲んでバカ騒ぎしハメをはずしたい日本人には、渋~くお祝いする花祭りよりも派手で豪華で酒飲んでバカ騒ぎできるクリスマスの方が魅力的なのかもしれない。でも、そうはいっても日本人は、その通り、まんまの形ではお祝いはしない。なぜそうするのかという本質を理解しようとせず上辺だけを何となく真似し、いともたやすく日本人にあったスタイルに変容させてしまうのである。焼くのが豚ではなく七面鳥なのは、きっとそれなりの意味があるのだろう。でも七面鳥を丸ごと焼くのは七面倒くさいし、発泡アルコールならシャンパンよりもっと安価で手に入りやすいものがある。私も昨夜の晩酌には「焼き鳥に第三のビール」をいただいた。「クリスマスにちなんでっと。…ちと違うけど、まぁいいか、クリスマスだし」。ご多分に漏れず私も「THE 日本人」であることを大いに自覚した。

サンタクロースというキャラクターの存在もその理由の一つだろう。トナカイのひく空飛ぶソリに乗って世界中の子供たちにプレゼントを配る真っ赤な服を着た人のよさそうな小太りお爺さんというキャラクターが、人々に夢と希望を与えているのだ。こんないい人がやってくるクリスマスは万人に受け入れられやすいだろう。一方花祭りにはそういうキャラクターは登場しない。ま、もっとも、深夜に子供たちの枕元に真っ赤な炎に包まれた不動明王クンが突然表れたら、それこそ鼻から涙、目から鼻水、驚異と絶叫の阿鼻叫喚の世界が繰り広げられるに違いない。まさに修羅場だ。

そして最も重要なポイントはプレゼントの有無である。クリスマスにはプレゼントが付き物だ。当初プレゼントは子供を喜ばす目的だったと思われるが、それなら盛り上がるのは子供だけであり、出費がかさむ大人にはあまり歓迎されないはずだ。ではなぜ老若男女を巻き込んで、ここまでクリスマスが盛り上がるようになったのか。それはプレゼントの役割が、意中の異性をおとすための必殺アイテムへと変容しそれが主流になっていったからだ。そしてそのプレゼントをめぐる男と女の駆け引きを野次馬の立場で見ることもできるし、時と場合によっては自らが体験できる。つまりクリスマス自体が恋愛ドラマ化し、誰でもその主役を疑似体験できるイベントにもなったわけだ。「惚れた腫れた」「くっついた離れた」系ドラマが三度の飯より大好きなのが日本人だ。盛り上がらないわけがない。一方花祭りにはプレゼントをやりとりする慣習はない。甘茶をすすりながらお坊様から徳のあるお話を聞いても、心は和み穏やかにはなるが、盛り上がるわけがない。

ということで日本人を熱狂させるクリスマス。その日は12月25日なのだが、頭と心は11月中旬から1か月もの間クリスマス一色に染まっている。「つまらないものかもしれないけれど…」と謙りながら(=ちょっとカッコつけながら)高価で希少なプレゼントをすることに至福の喜びを覚える日本人は、クリスマスの1か月以上前から「つまらないプレゼント」をあーだこーだ言いながら探し続ける。渡した時の相手の驚きと喜びに満ちた表情を想像しながら、あーでもないこーでもないと言いながら探し続ける。そして1か月もの間、妄想に妄想を重ね、徐々に熟成していった気持ちの高ぶりが12月25日にクライマックスを迎え、プレゼントを手渡した瞬間にさく裂する。相手の喜ぶ様子に、心の中は歓喜の自己満足で満たされ、自己陶酔とその余韻に浸るのである。クリスマスがキリストの降誕をお祝いするお祭りであることなど、もうどうでもいいことなのだ。

しかし、時は新年まで残り1週間を切り先生も走りまわるほど大忙しの年の瀬である。クリスマスのことだけを考えて1か月間過ごしてきた日本人は、クリスマスが終わった26日になってハッと気づくのだ。「お歳暮やってない。」「大掃除してない。」「年賀状書いてない。」「おせちの予約は?」「買い出しに行かなければ!」…。
12月の声を聞いてから少しずつ準備を始めていれば全く慌てることもないのだが、いかんせんこの時期からではどうジタバタあがいても間に合うはずがない。

「 祭りの後 」 では 「 後の祭り 」 なのだ。





文章だけの記事に、もう1回挑戦してみました。

添削、お願いいたします。(笑)






以上 まん丸でした。



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コメント
この記事へのコメント
>なぜそこらへんのおっさんまでもが「メリークリスマス!」って大騒ぎするのか全く解せないのだが・・・

うちのブログにMerry Christmas!って書き込んだのは誰だいっ?♪
2013/12/26(木) 19:56:04 | URL | たかのつめ #9GE0tqGA[ 編集]
そこらへんのおっさんではなく…
たかのつめさん、こんばんは。
私は普通の「そこらへんのおっさん」ではなく、とっても「変なおじさん」なんですよ。(笑)
2013/12/26(木) 22:10:28 | URL | 三流亭まん丸 #-[ 編集]
こんばんはー。

いつもとタッチが違う文章の日記。いいですねえ。

花祭りは確かに普及していませんね。クリスマスの方が盛り上がれる(笑)。
なるほどなー、と思いました。面白かったです、また読みたいです!
2013/12/28(土) 23:23:46 | URL | ゆみか@どうしたものか(´・ω・`) #-[ 編集]
ゆみかさん、おはようございます。
小説書いていらっしゃるゆみかさんから「面白い」と言ってもらえるととてもうれしいです。

あざっす!

小説や社会をえぐるようなリポートを書くつもりは毛頭ありませんので、レベル向上は望めそうにありませんが、こんな駄文でよろしければ、時々、書いてみようかな?って思いましたねぇ。
2013/12/29(日) 07:36:15 | URL | 三流亭まん丸 #-[ 編集]
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