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まん丸、メジャーへの道  5

まことか、うそか、あること、ないこと、てきとうに。話半分でご覧ください。 

どうも

三流亭まん丸でございます。



「暑さ寒さも彼岸まで」と申します。
暑くもなく寒くもなく清清しい日和。
もう、すっかり秋ですねぇ。



さて、秋といえばいろいろな秋がございます。

スポーツの秋、芸術の秋、八代亜紀・・・。

てなわけで4年前くらいに書いた記事を再掲したいと思います。
読書の秋ですからねぇ。

ではどうぞ。



学生の頃は野球バカだったが、実は結構本を読んでいた。
片道1時間半の通学時間、往復で3時間を読書に費やしていた。
2日で1冊、1か月で約15冊、1年で約180冊。
読書家といわれている方の足元にははるかに及ばないが、
それでも「趣味は読書です。」と答えても
恥ずかしくないかもしれない。
本は知識の源であり、想像力や発想力を養い、
日本語の語彙・表現力を豊かにする。

通学電車の中でスマホゲームに興じている学生の諸君、
諸君は時間をただ無駄に浪費してはいないだろうか?
諸君は自分を高める機会を逃してはいないだろうか? 

学生諸君、もっと本を読みなさい。


私が本にハマったきっかけは
「八甲田山死の彷徨」(新田次郎)だった。
日露開戦前夜、雪中行軍演習と称して厳冬期の八甲田に挑み、
大量遭難した青森5連隊と無事帰還した弘前31連隊を
対比して描いた、実話に基づく作品だ。
学校から帰宅した時にテーブルの上に
無造作に置いてあったこの本を手に取って
何の気なしに読み始めたのが、新田作品との出会いだった。
何度読み返してもワナワナと手が震えた。
それから新田作品をむさぼり読んだ。
「剣岳~点の記」「聖職の碑」「アラスカ物語」「芙蓉の人」
「富士山頂」「火の島」「孤高の人」…、
新田次郎は、大自然の猛威の前に
なすすべなく翻弄されながらも挑戦する人間の姿を描く。
時を変え場所を変え何度読み直しても、
その度に描かれている世界観に圧倒させられる。


新田次郎の多くの作品もそうだが、
私はノンフィクション(に近い)小説が好きだ。
それには訳がある。
例えば、第2次大戦時の海軍三羽烏と呼ばれた
米内光政・山本五十六・井上成美、
この3人をそれぞれ主人公にした小説がある。
阿川弘之の「山本五十六」「米内光政」、
宮野澄の「最後の海軍大将・井上成美」だ。
小説は、どうしても主人公主体、主人公目線で話が進み、
周辺の人物は主人公を引き立たせる役割として
幾分損な役回りを務めることになる。

ところがである。
この3冊をシンクロさせて読むと、
時代背景や情勢・状況が驚くほどよく見えてくるのだ。
わかりやすくいうならば、3人がそれぞれ主人公、
それぞれ脇役となることで、3人の立場、他の2人の評価、
関係性、言動への影響力といった部分がより鮮明になり、
3人の人物像がより魅力的に
多面的に理解できるようになるだけでなく、
その時起きた事象や事件も多方向から
客観的にとらえることができるのだ。

同じような読み方は
「海の史劇」(吉村昭)、「坂の上の雲」(司馬遼太郎)でもできる。
連合艦隊vsバルチック艦隊の日本海海戦を描いた
「海の史劇」の読後に「坂の上の雲」を読むと、
大艦隊を率いて日本海へと大航海をしている
ロジェストヴェンスキー提督の姿と、
そのバルチック艦隊をその日本海で迎え撃とうと待ち受けている
秋山真之の姿が同じ時間軸の上で重なり、
小説では描かれていない部分が頭の中で相互補完され、
その世界観が無限に広がっていくのだ。

こういう感覚は、
完全フィクションの小説を読んでいても体験できない。


また、史実や事実に基づく本との関り合いは、
私のモノの見方、考え方、大げさに言えば
私の生き方にまで影響を与えた。
高校3年の時に古本市で全8巻・1000円で売っていた
「小説吉田学校」(戸川猪佐武)をまとめ買いをし、
一気読みしたことが私の大学、進路学部を決めたのだ。
「小説吉田学校」は、フィクションが含まれているとはいえ
実在の人物が登場し実際に起こった事柄が
ほぼ時系列に沿って描かれているため、
ノンフィクションといっても過言ではない小説だ。
内容は日本の外交史や政策史ではなく、
総理・総裁の座をめぐる権力闘争を描いた物なのだが、
それでも日本のリーダーたちが繰り広げてきた
戦後の日本政治そのものだ。
戦後日本を牽引してきたリーダー達の考え方や行動を知らずして、
日本の戦後を総括し評価することができるのだろうか?
戦後日本を自分なりの尺度で評価できない者が、
これからの日本の将来像を語れるわけなどないではないか。
この思いが、私に大学で
政治学を学ぶことを決心させたきっかけとなったのだ。

なぜか大学での専攻は現代中国政治論であり、
今は政治とはまったく無縁の職種についているが…。



ちょっと話がそれる。

ネットが発達した現代社会において、
「調べたければネットを使えばいい」という風潮が蔓延している。
だがネットは、不特定多数が情報発信者となり、
その情報を垂れ流しているだけで、
その真偽を検証することはない。
そういう責任の所在が明確でない情報を鵜呑みにしたり、
その時の風潮に流されて判断を誤らないようにするためには、
氾濫する情報を取捨選択する目を持つことが重要だ。
目、それは自分の言動の指針であり、
自己判断の拠り所となる確立された揺るぎない基準のことである。

これを見出すには本だ。
本が最もふさわしい。
本を読んで何も感じない人はいない。
おもしろい、つまらない、良い、悪い、何かしらの影響を受ける。
様々な本を読めば、様々な影響を受ける。
そうこうしながら何冊、何十冊、何百冊、何千冊と読んでいくうちに
おのずと自分が共感するポイント、自分が心を揺さぶられるポイント、
その共通項がなんとなく見えてくるはずだ。
そして更に、何冊、何十冊、何百冊、何千冊と読み進めていくと、
ぼんやりしていた共通項の輪郭が、次第に明確に見えてくるようになる。
それこそが自分の指針であり、揺るぎない基準であり、
自分の存在そのものなのだ。
自分の中に立ち込めているモヤモヤの霧の中から
自分という存在を見つけ出す、
これが本を読むということの意義だ。
それゆえネット社会が発達すればするほど、
本を読む必要があるのだと私は思う。

通学電車の中でスマホゲームに興じている学生の諸君、
諸君の自己の言動の指針とは何か?
諸君の判断の拠り所となる揺るぎない基準とは何か? 

パズドラしてても答えは出てこないだろう。



元に戻そう。

私の本との関り合いは、
新田次郎から吉村昭・星新一・筒井康隆・城山三郎へと、
ノンフィクションからフィクションへと、
更にはエッセイ・書評・ドキュメント等々へと次々に広がっていった。
私の部屋には、そういったハードカバー・文庫本、
その他の様々な本が段ボール箱に詰め込まれて何個も積んである。
いつでも読みたいと思っている本ばかりで、
全部本棚に並べておきたいのだが、収まりきらないのだ。
いくら小遣いが足らなくなっても、
ブックオフに持ち込むわけにはいかない。

私に小さい頃から「本を読みなさい」と調教された中1の長男は、
無類の本好きになった。
どちらかというと作者・ジャンルを問わない乱読派のようだが、
伊坂幸太郎、重松清、東野圭吾、福井晴敏、京極夏彦などを
暇さえあれば読んでいる。
期末テスト中でも読んでいる…って、おいおい。
最近は、私の部屋の段ボール箱を勝手に開け
中から何冊か適当にピックアップし、
自分の部屋に持ち込んで読んでいるようだ。
私としては大歓迎だ。
どんどん読んでもらった方が本も喜ぶだろうし、
私がこれまでに読んできた本を
子供達が読んでくれることは非常に嬉しく思う。

だが、ちょっと困ったこともある。
長男が持ち出した本は、私の部屋に返ってこないのだ。
いつの間にか長男の部屋の本棚に、
無造作にボコボコと突っ込まれている。
本棚ならまだいい、床に平積みされていたこともある。
大事にしていた本なのに、こんな雑に扱いやがって!
と立腹することも少なくなくなってきた。

だ、か、ら!!!

だから、この大事な大事な本だけは、

死んでも長男に貸すわけにはいかない!!!!!





      
中森明菜写真集

   「 中森明菜写真集 近代映画社増刊 」


明菜ちゃんのデビュー当時の貴重なビキニ姿がおさめられている、
この本だけは…。







この写真集、変わらずにまだ大事に持ってますよ。(笑)

長男は、すっかり変わって最近はスマホ三昧ですけどね。(苦笑)










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コメント

どおりで…

!(・。・)b どおりで!

まん丸さんの文章、展開とか読んでて、
相当量の本を読んでる人だと思ってましたよ。

新田次郎、いいですねぇ。シビレます。

>読み進めていくと、ぼんやりしていた共通項の輪郭が、
 次第に明確に見えてくるようになる。
 それこそが自分の指針であり、揺るぎない基準であり、
 自分の存在そのものなのだ。

(((ʘ ʘ;)))これ、共感しきりです。
自分の指針、価値観、人生観……。
“なりたい自分”が鮮明になりますよね。
本は素晴らしい!
何にも代えがたいと、私も思います。(*^▽^*)

2017.09.22  風子  編集

風子さん、コメントありがとうございます。

細菌滅菌・・・、失礼。
最近めっきり読書量が減りました。
老眼が始まったみたいで、細かい文字が読みにくくて・・・。(苦笑)

タブレットで本が読めますが、ただ文章を読むのではなく、紙の質感、におい、ページをめくる触感、そういう体感を一緒にして欲しい、そういうものすべてで本を感じて欲しいと思いますねぇ。

書かれている内容とその付加価値があいまって、深く記憶に刻まれるのではないかなと思いますので。


2017.09.22  三流亭まん丸  編集

(´ー`*)ウンウン

同様に細かい文字が読みにくくて・・・。
アマゾンンKindle買いましたが、なぜか読みません。

>紙の質感、におい、ページをめくる触感、そういう体感を………。

おっしゃるとおりです。
本を読むとは、そういうこと。
やっぱ、アナログ人間なのかも…(^_^ ;)

2017.09.23  風子  編集

風子さん、コメントありがとうございます。

私も、超アナログ人間ですよ。
ご安心ください。(笑)

2017.09.23  三流亭まん丸  編集

月15冊。

かつて、
そのペースで本を読んでいた時期があります

確かにあの頃は
言葉が次々と、溢れる様に浮かんできました…(>_<)




全く、読まなくなって8年。
新田次郎さん、久々に読みたくなってきましたよ(^0_0^)


2017.09.23  数字の人  編集

数字の人さん、コメントありがとうございます。

新田次郎の「剣岳」が映画化されたとき、読み返してみたことがあります。

その描写の迫力に圧倒され、これは映像で見ても陳腐にしか見えないだろうと思って、見に行くのをやめた記憶があります。

脳内で想像する光景は、どんなにCGを駆使したとしても、絶対に越えられないんですよね。

その文章から感じとる豊かな想像力こそ、本を何で読むのか?の答なのかもしれませんねぇ。



2017.09.23  三流亭まん丸  編集

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しれ~っと戻ってまいりました。

ちなみに、「三流亭」を名乗られる諸先輩方とは
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