まことか、うそか、あること、ないこと、てきとうに。話半分でご覧ください。 
2015年07月14日 (火) | 編集 |
2つ、ご紹介します。

戦争絶滅受合法案(せんそうぜつめつうけおいほうあん)とは、日本の評論家・長谷川如是閑が論壇誌『我等』1929年1月号巻頭言にて紹介した戦争根絶に向けた提案。当時デンマーク・コペンハーゲンに在住していたフリッツ・ホルム(自称・陸軍大将)が考案したという条文を和訳したもの。


★ 戦争絶滅受合法案

戦争行為の開始後又は宣戦布告の効力の生じた後、10時間以内に次の処置をとるべきこと。
下記の各項に該当する者を最下級の兵卒として召集し、出来るだけ早くこれを最前線に送り、敵の砲火の下に実戦に従わせること。

1、国家元首(大統領も含む)の男性。
2、国家元首の男性の親族にして16歳以上の者。
3、総理大臣、国務大臣、次官。
4、国会議員。ただし戦争に反対した者は除く。
5、戦争に反対しなかった高位の宗教関係者。

上記の有資格者は、戦争継続中は一兵卒として召集され、本人の年齢や健康状態等は一切配慮されない。健康状態については召集後に軍医官の検査を受けること。
上記の有資格者の妻、娘、姉妹等は、戦争継続中、看護婦又は使役婦として召集し、最も砲火に接近した野戦病院に勤務させること。




もう1つご紹介。

立命館大学有志からのよびかけ
https://sites.google.com/site/ritsantisrbs/


立命館大学法学部・法科大学院の「安保関連法案」反対声明、「安保関連法案に対する専門家の違憲論を尊重し、法案の撤回を求める立命館大学法学部・法務研究科教員有志の意見」(2015年7月1日)です。


★ 安保関連法案に対する専門家の違憲論を尊重し、法案の撤回を求める立命館大学法学部・法務研究科教員有志の意見

現在、国会で審議されている「平和安全法整備法案」と「国際平和共同対処事態支援法案」(以下、あわせて安保関連法案)は、米国など他国の防衛および他国の軍事行動と一体化した後方支援=兵站を目指す点で、戦争準備法の性格を持つと指摘されています。また、憲法学者をはじめとする研究者・有識者や弁護士会、さらに歴代の内閣法制局長官経験者の多くが、日本国憲法9条に違反する内容であるとして、法案への反対を表明しています。立命館大学法学部・法務研究科に所属する私たちは、「教育・研究機関として世界と日本の平和的・民主的・持続的発展に貢献する」と規定する立命館憲章の精神に基づき、戦争準備法として安保関連法案に反対します。また、政府・与党が法律専門家の違憲論に真摯に耳を傾け、安保関連法案を撤回することを求めます。

1 安保関連法案は、日本国憲法の禁ずる集団的自衛権の行使を認め、歯止めのない自衛隊の軍事行動をもたらすものです。
安保関連法案が成立すると、いかなる影響が出てくるのか、ここでは重大な問題3点にしぼって指摘します。

(a)「我が国と密接な関係にある他国」への武力攻撃を日本の「存立危機事態」だとして、自衛隊の武力行使が可能となります。これは日本国憲法が禁止する集団的自衛権の行使に該当します。「存立危機」の要件は曖昧なため、歯止めのない軍事行動に日本が踏み込むおそれがあります。

(b)「日本の平和と安全に重要な影響を与える事態」(重要影響事態)や、「国際社会の平和と安全を脅かす」事態(国際平和共同対処事態)という曖昧な概念の下、現に戦闘行為が行われている現場でなければ、世界のどこにおいてでも米国軍などの他国軍隊に対する「弾薬の提供」を含む後方支援=兵站が可能になります。兵站も武力行使と一体の活動として、やはり憲法の禁止する集団的自衛権の行使に該当します。自衛隊が兵站業務を行う「現に戦闘の行われていない現場」は、いつ戦闘が発生するかもわからない場所ですから、自衛官が攻撃を受ける危険は戦闘現場そのものと大差ありません。

(c)国連平和活動(PKO)のみならず、軍事的性格の強い集団的措置(多国籍軍)や国連が統括しない「有志連合軍」等による活動(「国際連携平和安全活動」)への自衛隊の参加の道が開かれます。武器使用を伴う「駆け付け警護」などの戦闘性の高い業務も拡大します。

(a)~(c)いずれの場面でも、自衛官の戦闘死や精神的健康被害の危険性が高まることは明らかです。同時に、自衛官が他国の民間人を誤射してしまうケースも増えるでしょう。また、日本が米国の軍事行動に参加することで、海外で暮らす日本人が「テロ」の標的となる危険も増えます。「国際社会に開かれた学園」をめざす立命館では様ざまな国からの留学生が学んでおり、また日本人学生の多くも海外留学を経験しています。留学生の母国が戦争の惨禍を被る事態や、留学中の日本人学生が「テロ」事件に巻き込まれる事態は絶対にあってはなりません。教学理念「平和と民主主義」に基づき、学生の学びを応援してきた立命館大学の教員として、将来のある学生たちが戦争に巻き込まれるような未来にしてはいけないと強く感じます。

安保関連法案提出の理由として、政府は、「我が国をとりまく安全環境は根本的に変容」した(2014年7月1日閣議決定、以下「7・1閣議決定」)と説明しています。しかし、冷戦期や2000年代前半と比べてアジアにおける緊張感が著しく高まったとする客観的な根拠を示せていません。米国の後方支援の強化が「抑止力」を持つという主張も観念的な域を出ず、むしろ東アジアの緊張関係を高めることにならないのか、中東地域で培ってきた日本の「平和ブランド」を損ねることにならないか、上述のような「テロ」の標的となるリスクが高まるのではないかといった多くの国民が抱いている懸念を払拭するような説明は、首相の会見の中でも国会答弁の中でもなされていません。

2 集団的自衛権の行使は憲法上認められないというのが憲法学の通説であり、従来の政府の立場です。これを政権の都合で変更するのは、立憲政治という貴重なルールと、それへの信頼を破壊します。
いずれにしても、日本が立憲主義国である以上、憲法が禁止する政策を推進できないことが大前提です。「集団的自衛権は憲法上認められない」というのが確立した憲法解釈であり、それゆえ憲法学者の多くが「安保関連法案に反対し、そのすみやかな廃案を求める憲法研究者の声明」(6月16日時点の賛同者230名)に賛同しました。日本弁護士連合会(日弁連)も法案に反対の意見書を出しています(6月18日)。
また、衆議院憲法審査会(6月4日)で参考人となった与党推薦も含む3名の憲法学者全員が「安保関連法案は違憲である」という見解を述べました。なによりも、「7・1閣議決定」以前の政府自身が「集団的自衛権は憲法上行使できない」という立場を公言していたはずです。
たしかに、憲法の文言は一義的ではなく、複数の解釈を許す場合もあります。しかし、そうした解釈の余地は、条文の文言や他の憲法規定との論理的な関連によって、あるいは過去の裁判例や慣行によって「枠」をはめられており、これを越える「解釈」はもはや解釈たりえないというのが法律学の「基本了解」です。こうした「基本了解」を政府や国会議員が守らなければ、憲法を頂点とする法への信頼は崩れます。政権の都合で憲法解釈を変更できる国は、もはや法治国家ではなく、ときの権力者の独善的な意思が支配する「人治国家」です。長年積み上げてきた政府の憲法解釈を国会での審議もないまま都合よく変更するような政権が、「徴兵制を導入することは憲法上あり得ない」(2014年7月15日参議院予算委員会・安倍内閣総理大臣)などと力説しても、まったく説得力がありません。
政府が「7・1閣議決定」の根拠とする、1972年の閣議決定は個別的自衛権を前提にしたものであることは、それ以降の政府答弁が一貫して「集団的自衛権は憲法上認められない」と述べてきたことからも明らかです。「7・1閣議決定」作成の中心となった高村正彦・自民党副総裁自身が、過去においては集団的自衛権の行使は憲法の限界を超えるという答弁を国会でしてきました(1999年2月9日衆議院安全保障委員会)。中谷元防衛大臣も、かつては、「憲法の解釈変更はすべきでない」という見解を著書で述べてきました(中谷元『右でも左でもない政治』幻冬舎2007年)。このような、過去の認識を都合よく変更するというのは、国会議員・大臣としての資質と誠実さが疑われるところです。
違憲論の声に危機感を覚えた、政府・与党は最高裁砂川判決を根拠として、「最高裁は集団的自衛権を排除していない」と強弁するに至りました。しかし、砂川判決では集団的自衛権行使などに言及しておらず、判例法理の明らかな歪曲です。与党公明党の幹部も、「7・1閣議決定」の際の与党協議においては、砂川判決では集団的自衛権は正当化できないという認識でした。ここにも政府・与党の「ご都合主義」の態度がみられます。安倍総理の「過去の憲法解釈に固執するのは政治家としての責任放棄」(2015年6月18日衆議院安保特別委員会)という発言に至っては、公務員の憲法尊重擁護義務をそれこそ放棄したものであり、総理大臣としての資質が問われる発言です。憲法学者や日弁連が批判しているのは、安保関連法案の内容自体の違憲性のみならず、こうした立憲主義の精神を無視した政治手法なのです。

3 法の専門家たちの意見を無視・軽視した法案の進め方に抗議します。
憲法学者の反対声明や日弁連意見書の他にも、「安全保障関連法案に反対する学者の会」(6月18日時点で賛同者約4600人)などが、それぞれの分野の学知を基盤として安保関連法案反対の声をあげています。法案を推進する政治家・官僚たちは、こうした専門家の意見にまずは耳を傾け、反論があるなら真摯に応答すべきです。ところが、政府・与党は、自分たちに都合の悪い専門家の意見を徹底的に無視・軽視しています。憲法学者たちの違憲論に対しても、政府閣僚や与党幹部たちは、「学者は法律の字面に拘泥しすぎ」、「憲法学者の言を聞いていたら平和は守れなかった」などと露骨に嫌悪感を示しています。前者は法令や判例の論理的な読解を核心とする法律学という知的営為の否定に等しい暴言であり、後者は実証的な論拠をもたない妄言です。このような非理性的な言葉を国政の担当者たちが簡単に口にする現状を、私たちは研究者として深く危惧します。
私たちの中にも、日本の安全保障・外交の方向性について様々な立場がありますし、日本国憲法の下での自衛権のあり方に関する理解にも一定の幅はあります。それは自由な研究の場として、むしろ自然なことです。しかしながら、憲法学者の圧倒的多数が採用し、60年間にわたり歴代政府も維持してきた、「集団的自衛権の行使は憲法違反である」という解釈は法理として確定しているという認識では一致しています。それゆえ、私たちは専門知を軽視して違憲法案を推進する政府・与党の姿勢に強く抗議し、ここに安保関連法案に専門家の立場から反対を表明し、法案撤回を要求します。
2015年7月1日

呼びかけ人(50音順): 市川正人 植松健一 大久保史郎(名誉教授) 倉田玲 倉田原志 小松浩 多田一路 中島茂樹

賛同人(7月10日第1次集約現在):赤澤史朗(名誉教授) 浅田和茂 吾郷眞一(特別招聘教授) 安達光治 安保寛尚 生田勝義(名誉教授) 生熊長幸 石原浩澄 石橋秀起 上田寛(名誉教授) 大平祐一 加波眞一 嘉門優 小堀眞裕 坂田隆介 佐藤敬二 佐藤渉 島津幸子 須藤陽子 徐勝 高橋直人 竹濵修 谷本圭子 遠山千佳 德川信治 平野哲郎 平野仁彦 渕野貴生 堀雅晴 本田稔 中谷義和(名誉教授) 二宮周平 野口雅弘 松尾剛 松宮孝明 松本克美 宮井雅明 宮脇正晴 村上弘 望月爾 森久智江 湯山智之 山口直也 山田希 山田泰弘 山本忠 吉岡公美子 吉村良一 渡辺千原 和田真一  他匿名賛同5名
(以上、呼びかけ人・賛同人計64名)

http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/





7月15日追記


日本の喜劇王・榎本健一さん、通称「えのけん」が歌った
61年前の歌をご紹介。


これが自由というものか (1954)

作詞・作曲:三木鶏郎  歌 : 榎本健一


知らない間に実験で   知らない間にモルモット
知らない間にピカドンで 知らない間に水爆病
これは呆れた驚いた   何が何だかわからない
これが平和というものか あちら任せの平和論

知らない間に値上げして 知らない間にMSA
知らない間に教育法   知らない間に機密法
これは呆れた驚いた   何が何だかわからない
これが自由というものか あなた任せの自由論

知らない間に金上げて  知らない間に金取って
知らない間に税金で   知らない間に自衛隊
これは呆れた驚いた   何が何だかわからない
これが政治というものか おかみ任せの政治論



※MSAとは

【MSA協定】 エムエスエーきょうていのこと。
1954年3月8日、岡崎勝男外務大臣とJ.M.Allison(アリソン)駐日アメリカ大使との間で調印された協定で、〈相互防衛援助協定〉〈農産物購入協定〉〈経済措置協定〉〈投資保障協定〉の4つからなる。
日本の軍事力増強を図るために、アメリカが援助を与えることを主旨とし、その根拠が、アメリカで1951年10月に成立した、相互安全保障法Mutual Security Act(略称MSA)に求められたので、この名がある。



7月15日追記2

議論は出尽くしたわけではない。肝になる部分に対して明確な言質をとりたいがために同じ質問をするだけ。不安や疑問、矛盾に真正面から答えてないから116時間も費やしてるだけで、実績とアリバイ作りだけの全くかみ合っていない不毛な116時間としかいいようがないですね。大事なのはどれだけ時間を費やしたかじゃなく、どれだけ反論・疑問・矛盾点に対してはぐらかすことなく真摯な議論を行ったかという中身なんですよ。

安保法案:116時間、議論深まらず 「違憲」反論、材料欠く

毎日新聞 2015年07月16日 東京朝刊

安全保障関連法案を巡る衆院平和安全法制特別委員会での審議時間は、当初与党が目安としていた「80時間」を30時間以上上回る約116時間に上ったが、自衛隊による活動がどこまで広がるのかについての政府の説明は具体性に乏しく、議論は深まらなかった。集団的自衛権の行使容認に対する憲法学者らの「憲法違反」との批判を説得できるだけの新たな説明も欠いたまま。今後参院に舞台を移す国会論戦で詰めるべき論点は山積している。【高山祐】

「長い時間がたって国際情勢が大きく変わった。我々は合憲であるとの確信を持っている」。安倍晋三首相は15日の特別委で、集団的自衛権の行使容認について、こう強調した。

関連法案では、日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される「存立危機事態」の場合に、集団的自衛権の行使を容認している。

政府はこれまでの法案審議で、「自衛の措置」を認めた1959年の砂川事件判決と、国民の権利を守るための必要最小限の自衛権を認めた72年の政府見解を行使容認の根拠とし、安全保障環境の変化などを考慮して「合憲」と判断したと説明。首相は15日の特別委でも、これまでと同様の論法を改めて繰り返した。だが、憲法学者の違憲批判は、二つの根拠がいずれも個別的自衛権を認めたものに過ぎず、集団的自衛権の根拠とするのは無理があるとの主張。議論は根本からかみあわず、批判に対する反論として説得力に乏しい。

存立危機事態の認定基準を巡っても、不明瞭さが残る。首相は10日の特別委で、日本周辺有事の際の米艦船防護について「邦人輸送中やミサイル警戒中の米艦が攻撃される明白な危機がある段階」との事例を新たに示したが、具体的な判断基準については「総合的に判断する。今挙げた例示が全てではない」との答弁を繰り返した。例示に慎重なのは「個別の事態を詳しく解説すると、国民を守るための手の内をさらすことになる」(首相)との懸念からだ。しかし、具体性を欠く説明は野党側の批判を浴び、維新の党の柿沢未途幹事長は15日の特別委で「極めてあいまいで、歯止めがないも同然」と批判した。

関連法案には、他国軍の後方支援を定めた重要影響事態法案と国際平和支援法案も含まれ、自衛隊の活動を巡る事実上の地理的制約が撤廃される。支援法案は「例外なく国会の事前承認」を義務づけているのに対し、事態法案は緊急時には国会承認は事後も可能で、歯止めは厳格ではない。どの法案を適用するかは「全ての情報を総合して客観的、合理的に判断する」(中谷元防衛相)との説明にとどまっており、野党側は「歯止めが骨抜きにされかねない」との懸念を強める。このほか、国連平和維持活動(PKO)協力法改正案では、自衛隊は巡回や検問などの治安維持任務が可能となるが、中谷氏は具体的な活動について「今後検討する」との答弁に終始している。

http://mainichi.jp/shimen/news/20150716ddm002010098000c.html



もう1つ。

新3要件の「存立危機状態」とは、何をもって存立危機状態と判断するのか基準が明確でない、それでは新3要件など何の歯止めにもならない、という批判があります。
驚くことにこの厳格な新3要件は、政府の心づもり1つでどうにでもなることが、安倍首相自身の言葉から明らかになりました。


安保法案審議 武力行使要件 首相が逆説論

東京新聞 2015年7月4日 朝刊

安倍晋三首相は3日の安全保障関連法案に関する衆院特別委員会で、他国を武力で守る集団的自衛権に関し、「日本の存立が脅かされ、国民の生命や権利が根底から覆される明白な危険」が「ない」と判断できない場合に、行使に踏み切る可能性に言及した。安保法案は、明白な危険がある「存立危機事態」に武力行使できると定めているが、首相は論理を逆転させた。集団的自衛権行使の判断が、政府の裁量に委ねられていることがあらためて鮮明になった。 (金杉貴雄)

首相は、集団的自衛権行使の事例として北朝鮮が公海上の米艦を攻撃した状況を挙げて「日本を攻撃しないと言いながら、意図を隠して攻撃の用意をしていることは当然あり得る」と指摘。集団的自衛権の行使が可能となる存立危機事態の認定に関し「明白な危険が『ない』をどう判断するかだ」と説明した。

「日本へのミサイル攻撃が顕在化していなくても、潜水艦に乗せる特殊部隊を持ち、東京で大規模なテロを行うことも考えられる」とも述べ、明白な危険が「ない」と確認できないなら、集団的自衛権に基づき自衛隊が反撃することもあり得るとの認識を示した。

特別委では、日本防衛のために公海上で警戒中の米艦に対する攻撃は、日本への武力攻撃の着手と認定できる場合があるとの過去の政府答弁が取り上げられた。

この答弁に関して、首相は「実際には認定するのは難しい」と指摘。「個別的自衛権での対応には限界がある」として、集団的自衛権でなければ自衛隊が米艦を守ることは難しいとの認識を示した。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015070402000131.html



「明白な危険がないといえない」=「明白な危険があるとみなすことができる」ってことですよね。
「絶対に日本にも仕掛けてこないことを立証できない限り、日本にも攻撃するとみなすことができる」と言ってるのと同じ。
そしてその判断をするのは?


結局、行使も歯止めも、時の権力者のその時の気分による「総合的判断」ではねぇ。





7月17日追記

発信箱:安保、原発、競技場=青野由利(専門編集委員)

毎日新聞 2015年07月17日 00時09分(最終更新 07月17日 00時10分)


ちょっとしたクイズを考えた。安保法案、原発政策、新国立競技場。この三つに共通しているものは何か。

簡単すぎる? そうかもしれない。まず、誰でも思いつくのは「これほど多くの国民が反対しているのに、政権がまるで意に介さないまま進んできた点」だろう。新国立は風向きが変わってきたようだが、反対意見への十分な説明はいずれの場合も聞いた覚えがない。

未来志向とほど遠く、「そんなに昔に戻りたいの」と聞きたくなる点も似ている。原発は3・11の過酷事故前に。新国立は高度成長期の「大きいことはいいことだ」に。そして安保法案は海外でも武力行使できる国に。

安倍晋三首相は「安全保障環境が変わった」と強調するが、国と国との衝突は昔ながらのもの。本当に新しいのは過激派組織「イスラム国」(IS)のようなこれまでの常識では測れない脅威だろう。国家と違い、アメーバ状態の相手に昔ながらの集団的自衛権で対応できるとは思えない。その現実は現状をみれば明らかではないのか。

もうひとつ、「動き出すと止まらない。方向転換する勇気がない」も共通項にみえる。破綻している核燃料サイクルがやめられないのは、従来の制度や既得権益、つぎ込んだ資金などが絡み合っているため。新国立は、オリンピック招致の時に明言してしまったから。そして安保法案は、米国に「約束」したから?

三つとも解決できる方法がひとつある。今からでも遅くない。安倍首相が考え直し、思い切った方針転換を政治決断することだ。名宰相として歴史に名を残すこと請け合いだ。

http://mainichi.jp/opinion/news/20150717k0000m070165000c.html




「国民の皆様に丁寧に説明申し上げる・・・」

丁寧に説明されてもね、
それを容認できるかどうかは別問題だということを肝に銘じておいてもらわないとね。


国立や原発と話がそれましたので、安保の話に戻します。
いくら扉がどうだ、柱がどうだ、屋根がどうだと個々の部分について議論し、仮に容認できたとしても、その建物自体がそもそも違法建築物だったら、それはもう扉・柱・屋根云々以前の問題なんじゃないでしょうかね。




7月17日追記2

何か新たな事を試みようとするときは必ずメリットとデメリットがあります。
これを両方併記して議論しないと、事の本質には迫れません。
「国民の理解が進んでいない、説明が足らない」と指摘される原因は、ここにあるような気がしますねぇ。


首相、議論避け続け 安保法案 衆院委可決

2015年07月16日 02時08分

安倍晋三首相は15日の衆院特別委員会で、安全保障関連法案について「国民の理解が進んでいないのは事実だ」と認めた。その原因は、国会答弁で質問をはぐらかしたり、批判を「レッテル貼り」と決め付けたりする首相自身の姿勢にもあるのではないか。これまでの首相の発言を検証する。

「われわれが提出する法案の説明としてはまったく正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」

5月20日の党首討論で、首相は民主党の岡田克也代表の質問をこう一蹴した。

集団的自衛権を行使する場合、首相は「他国の領土、領海、領空に派兵することはない」と答弁した。岡田氏は「米国の戦いが相手国の領域で行われていれば、そこまで(自衛隊が)行かないと行使できない場合もあるのではないか」と指摘。首相答弁の通りなら法律に「派兵しない」と書き込むべきだと求めた。

自衛隊が相手国の領域に踏み込めば、一般に「海外派兵」に当たるため憲法9条に反する。首相が答弁で「しない」と言うより、法律に明記すれば確かな歯止めになるはずだ。だが、首相は「私が総理大臣」のひと言で片付けた。

「政府がすべての情報を総合して客観的、合理的に判断する」

どんな状況があれば集団的自衛権を行使するのかについて、首相の説明はこの言い回しに終始した。日本を防衛している米艦に攻撃があれば行使対象と言ったり、攻撃の明白な危険があれば行使できるとしたり。答弁のぶれを指摘されても、最後は「総合的判断」。あまりに抽象的で幅広い裁量の余地がある。

20日の討論で岡田氏は「断定的な、粗雑な物の言い方では国民の理解は深まらないし、まともな議論にならない」と批判したが、首相は「何を間違っていると言っているのか分からない」と首をひねった。

「日本が米国の戦争に巻き込まれることは、絶対にあり得ない」

首相は、法案を閣議決定した5月14日の記者会見で断言。その後の国会答弁でも同じ言葉を繰り返した。

なぜ「絶対」と断言できるのか問われると、米国の要請があっても、武力行使の新3要件に当たるかどうかを日本が主体的に判断する、と説明するだけ。だが、将来の国際情勢を無視して「あり得ない」と断言することは、かえって国民の不信を招いていないか。

同じように、首相は法案による自衛隊員のリスクについても「(法案は)リスクとは関わりがない」と断言し、5月25日の自民党役員会ではリスク論を「木を見て森を見ない議論」と切り捨てた。

その後、批判が高まると「リスクが残る」と微妙に答弁を修正したが、7月8日、党のインターネット番組では「結果的に自衛隊員のリスクはむしろ下がっていくと思います」。

これには、法案に賛成する立場の識者からも「首相はリスクを正直に語ることをあえて避けている印象を与えている」(拓殖大の川上高司教授)と苦言が出ている。

=2015/07/16付 西日本新聞朝刊=

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/article/182352




プロ野球の某球審が「オレがルールブックだ!」と抗議を突っぱねたことがその昔ありましたが、これは公認野球規則にのっとってそう言ったまで。
ルールブック(憲法)の解釈を勝手に変更して「オレは首相だから正しいんだ!」と説明されても、「はい、そうですか。」と国民はやっぱり納得しがたいですよねぇ。



7月20日追記

用語は過激ですが、内容はその通りですよね。

あれは安倍政権によるクーデターだった / 石川健治氏(東京大学法学部教授)

ビデオニュース・ドットコム 7月18日(土)23時10分配信

あの日、日本でクーデターが起きていた。そんなことを言われても、ほとんどの人が「何をバカな」と取り合わないかもしれない。しかし、残念ながら紛れもなくあれはクーデターだった。そして、それは現在も進行中である。

安倍政権は7月15日の衆院の委員会で安全保障関連法案の採決を強行し、翌16日には本会議を通過させた。国会の会期が9月27日まで延長されていることから、仮に参院が法案を議決しなくても、衆院通過から60日後には衆院の3分の2の賛成で法案は可決する。衆院では自民、公明を合わせると3分の2以上の議席を得ていることから、16日の衆院の通過を持って、事実上法案の成立は確実になった。

これは一見、民主主義の正当な手続きを踏んでいるように見えるが、決してそうではない。今回日本の政治に起きたことは、後世にまで禍根を残すことになるだろうと東京大学法学部教授で憲法学者の石川健治氏は言う。

その理由として石川氏は今回、安倍政権が、憲法を改正しないまま、長年にわたり憲法によって禁じていると解されてきた集団的自衛権を容認する法解釈と法整備を強行したことによって、「法秩序の連続性が切断された」と考えられるからだと説明する。

元々安倍政権は憲法9条を改正して、日本も軍隊を持ち戦争のできる「普通の国」にしたいという野望を抱き、それを公言して憚らなかった。しかし、それを実現するために必要な国民の支持がないことがわかると、今度は憲法改正を困難にしている憲法96条を改正し、現行の3分の2から国会の2分の1の賛成で憲法改正を発議できるようにしたいと言い出した。

憲法の条文を改正する手続きを定める憲法96条は、憲法の中では他のすべての条文よりも高い位置にある。それを壊す行為は憲法そのものを転覆させる行為であり、これを法学的には「革命」と呼ぶが、「革命」が成功するためには国民の支持が必要だ。しかし、日本国民は憲法96条の改正を支持しなかったため、「革命」は失敗に終わった。

ところが安倍政権は今度は、国民を置き去りにしたまま、政府レベルで法秩序の連続性の破壊を図った。内閣法制局長官を集団的自衛権容認論者にすげ替え、集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、政権与党のみで法案を国会を通してしまった。国民から支持を受ける「革命」に対し、国民を置き去りにした状態で法秩序の連続性を破壊する行為を、法学的には「クーデター」と呼ぶのだと、石川氏は言う。

石川氏は今回日本が失ったものの中で、最も大きかったものは「理屈が突破されたこと」だったという。参考人として呼ばれた3人の憲法学者にことごとく違憲の烙印を押され、憲法学者はもとより世のほとんど学者も、歴代の内閣法制局長官も、こぞってこの集団的自衛権を認めるこの法案は違憲であると主張していた。こうした主張に対する政府・与党側の反論は、集団的自衛権とは何の関係もない砂川事件の最高裁判決で集団的自衛権は禁止されていないという、およそ屁理屈にもならないようなお粗末なものだった。また、今回の法整備によって日本の抑止力が高まるという政府の主張も、根本的な部分に誤謬があることも明らかになった。

理屈の上では安保法制をめぐる安倍政権の主張は完全に敗北していた。しかし、にもかかわらず論理的に破綻している法案が閣議決定され、7月16日の衆院通過で事実上の成立が決まってしまった。

理が通らない政策が数の論理によって押し切られてしまったことで、日本が「法秩序」を失ったことの影響は大きい。今後、この法案がもたらすであろう個別の問題を考えただけでも目眩がしそうだが、より高次元で日本の法秩序が破砕されたことの影響は恐らく安全保障分野だけにとどまらないだろう。われわれの多くが、日本という国の政治の頂点で、「理」が「無理」によって押し切られるところを目撃してしまった。これによって戦後われわれが大切に育て、守ってきた「公共」空間が壊されてしまった。

ここに至るまで安倍政権は、解釈改憲を実現するために内閣法制局長官をすげ替えたほか、アベノミクス実現のための日銀総裁人事にも介入した。また、メディアへの圧力を強める一方で、NHK会長人事にも介入してきた。こうした行為もまた、憲法96条改正の通底するところがある。最終的に法秩序を破壊するような行為を行う上で、まず邪魔になる障害を取り除くために首相の権限をフルに活用する。法律で委ねられた権限を行使しているだけとの見方もあろうが、そもそもそうした権限が内閣に委ねられているのは、そうした個々の機関の暴走を防ぐためであり、首相の権力を私物化するためではない。それを自身の権力や権限の拡大のために利用する行為は、権力の目的外利用であり、権力の濫用に他ならない。

今回の安保法制の事実上の成立で日本が失ったものとは何なのか。今後その影響はどこで表面化してくるのか。われわれはそれにどう対抗していけばいいのか。知性主義も立憲主義も否定したまま自身の目的達成に向けて突っ走る安倍政権と、われわれはいかに向き合っていけばいいかを、ゲストの石川健治氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
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最終更新:7月18日(土)23時10分

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150718-00010001-videonewsv-pol




私は、国際情勢が劇的に変化し、日本の安全保障についても真剣に考えなおさなければならない時期にきているのかもしれないし、それについて大いに議論することは望ましいことだと考えます。
ただし終始一貫、やるなら正々堂々と正当な手続きを踏んでやるべきで、立憲主義を掲げる法治国家として最高法規である憲法をないがしろにするような姑息な手段でやるべきではないと書き続けてきました。憲法の解釈変更という手段で、時の為政者が好き勝手に自分がやりたい政策を遂行できるという事例を認め許すことは、将来悪意を持った為政者にいいように利用されてしまう前例になりかねません。のちの世に禍根を残すような今回のやり方を絶対に認めることはできません。

これまでの安倍首相の行ってきた言動は、立憲主義を破壊する行為であります

それはすなわち立憲主義に基づく法治国家だった日本を、時の権力者が勝手自由に為政する人治国家に転換してしまったことを意味します。人治国家、キム第一書記が好き勝手に為政を行う北朝鮮や共産党一党独裁の中華人民共和国と何ら変わらないということです。

安保法制改正の中身以上に、そこに至るまでの法治→人治国家へのプロセスを阻止できず容認してしまったこそ、日本にとって取り返しのつかない大問題です。

この責任を、我々は将来に対してどうとればいいのでしょうか?





7月21日 追記

臆病と傲慢が織りなす安保法制のナゼ

田中良紹 | ジャーナリスト
2015年7月15日 23時36分

安倍総理が念願とする安保法案が15日の衆議院特別委員会で強行採決され参議院に送られる運びとなった。私は5月下旬以来の委員会審議をほぼすべて見てきたが、これほど意味不明の議論をかつて見た事がない。審議時間は100時間を超えたと言うが、いくら聞いても法案の内容を理解することが出来ない。

集団的自衛権の行使容認が目的のはずだが、憲法を変えないでそれをやろうとするため、武力行使は「極めて限定的」というのがふれこみである。ところがどこがどれほど限定されるのか、その肝心な部分が抽象的であいまいなのである。

中谷防衛大臣は「その時にならなければ分からない。政府が総合的に判断する」と言うし、安倍総理は「手の内をさらす海外のリーダーはいない」と曖昧にする。そしてそれが抑止力になると訳の分からない事を言う。

しかし私が1990年から見てきた米国議会の安保論議でこれほど曖昧な事を言う政治家は一人もいなかった。彼らはまず米国の国益を定義し、それがどの程度侵犯されたら武力行使に踏み切るかを具体的に議論する。従って戦争に勝つとしてもそれが国家の損失を招くと考えれば戦争はやらない。メリットがあるかないかを厳密に具体的に議論する。

ところがクリントン大統領の時代に「クリントン・ドクトリン」というのが出た。コソボ紛争に介入する際に唱えられたが、米国の国益ではなく、民族紛争や宗教対立で大量虐殺が起きた時、人道的な見地から米国は武力介入するというのである。これにキッシンジャーらは強く反対したが、クリントンはコソボ空爆に踏み切り、それに欧州諸国が反発して米欧関係は一時冷却した。

次に「ブッシュ・ドクトリン」が出た。9・11のテロ攻撃の後、ブッシュ大統領はテロリストとテロリストをかくまう国家に「先制攻撃」する方針を宣言した。西部劇の決斗では相手に先に拳銃を抜かせた方が称賛される。ブッシュはそれを否定した訳だが、結果は米国がイラクとアフガンで取り返しのつかない泥沼に陥る。何のメリットもなかった。

米議会でこうした議論を見てきた私には、この国会が本気でこの国の安全保障を議論していると思えない。政治家たちはみな「我が国の安保環境は厳しさを増している」とバカの一つ覚えのように言うが、例として挙げるのは北朝鮮のミサイルと核開発、そして中国の軍事的台頭である。それらはいずれも米国が米国製兵器を日本に買わせるために吹き込んだ近隣の「脅威」である。

それを言うなら米国が北朝鮮や中国の軍事力を本当はどう見ているかをさらに詳しく調べた方が良い。間違っても日本に米国製兵器を買わせるためのセールストークを鵜呑みにしてはならない。

この国会審議を見てつくづく感じるのは、昔の自民党と異なり米国の兵器セールスに洗脳された政治家が与野党共に多いという現実、また朝鮮戦争以来の米国の願望である「日本人に血を流させろ」という主張を受け入れないと、日本は生きていけないと考える人たちが集団的自衛権の行使容認を推進しているという事実である。

従って米国の必要からこの安保議論はスタートしている。武力発動の議論が抽象的であいまいになる理由はそこにある。武力発動の条件を日本の国益に沿って厳密に定義すると、米国の要求に臨機応変に対応できなくなるからだ。米国の利益を守る話を日本の利益を守る話にすり替える事が議論を何度聞いても分からなくしている原因である。

そのためか集団的自衛権行使の話が堂々とした憲法改正の話にならず、「解釈改憲」というごまかしの話になる。そしてごまかしの意識があるためか、臆病な人間の常とう手段である姑息な手法が使われる。

昨年7月に何の議論もないまま集団的自衛権の行使容認は閣議決定された。その後の2度の国政選挙ではもっぱら経済を前面に出して安保は争点にならず、そのくせ選挙公約の目立たない所に書き込んで、今頃になって「選挙で国民の支持を得た」と安倍総理は開き直る。

一方で、2度の国政選挙での大勝は臆病な手法の政治家を傲慢にする。大量議席があればまっとうな議論などなくとも数の力で押し切れると考える。日本国の歴史的転換を図る重要法案となれば、予算成立後に速やかに国会に提出するのがルールである。ところが安倍総理はそれをしなかった。米国訪問後に米国の後ろ盾を得て5月末に提出し、わずか1か月で衆議院を通過させようとした。

まっとうな議論をする気がない事は国会審議の冒頭から明らかになる。まともな答弁をしないため審議はしばしば中断し、そして傲慢な態度が質問者に対する野次を生む。そこに憲法学者らの「違憲」発言が飛び出した。1か月で衆議院通過させる傲慢な目論みはこうしてもろくも潰れた。

すると傲慢は一転して臆病になる。国際公約した安保法案を成立させなければ国際的な恥さらしになるとの思いが募り、もうあとさきの事など考えない。参議院で成立しなくとも衆議院で再可決が可能になる95日間という過去最長の会期延長を行い、さらに応援団を使ってマスコミを委縮させ立場を有利にしようとした。その応援団の知能程度に問題がありそれが逆に安保法案の足を引っ張る。

するとまた臆病病が出る。過去最長の会期延長をしたにも関わらず、従って常識的には7月末まで衆議院で審議する時間があるにもかかわらず、少しでも採決を引き延ばせば何が起こるか分からないとの不安におびえる。それが15日の委員会採決という日程を決めさせた。

私は5月のはじめに「安倍総理は地雷原に足を踏み入れた」と書いた。「地雷を避けながら進むのは非常に難しいが、それがうまく出来るなら安倍総理の政治力を評価しても良い」とも書いた。ところが衆議院特別委員会での強行採決で、私の目には安倍総理が目をつむって地雷原を走り出したように見える。もはや政治力ではなく運だけに頼ろうとしているようだ。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakayoshitsugu/20150715-00047560/



もう一つ。

立命館有志の声明をご紹介しましたので、京都大学有志の方の声明文もご紹介します。


自由と平和のための京大有志の会

http://www.kyotounivfreedom.com/

「安保法制」、言論への威圧発言、大学への君が代、日の丸の強制、等、この間の安倍政権による平和の破壊、学問の愚弄、憲法の蹂躙を止めさせ、新時代の自由と平和を創造するために、このたび「自由と平和のための京大有志の会」を結成しました。学生、職員、教員たちで、勉強会や集会を通じて言葉を紡ぎ、京都から発信していきたいと思います。発起人:石井美保、岡真理、岡田直紀、小関隆、駒込武、小山哲、坂出健、田所大輔、藤原辰史、松田素二、水野直樹、歴史と今を考える会(学生団体)


声明書

戦争は、防衛を名目に始まる。
戦争は、兵器産業に富をもたらす。
戦争は、すぐに制御が効かなくなる。

戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。
戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。
戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。

精神は、操作の対象物ではない。
生命は、誰かの持ち駒ではない。

海は、基地に押しつぶされてはならない。
空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。

血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、
知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。

学問は、戦争の武器ではない。
学問は、商売の道具ではない。
学問は、権力の下僕ではない。

生きる場所と考える自由を守り、創るために、
私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。

自由と平和のための京大有志の会



衆議院可決後、京大有志の会は立命館有志とともに緊急合同声明を出しています。


緊急合同声明

私たちは、衆議院本会議での安保関連法案可決に対し、強く抗議する。
私たちは、法案の即時廃案を求める。
私たちは、参議院の審議では、憲法遵守の姿勢をつらぬくことを要請する。

数の力で押し切ったところで、
憲法から乖離した安倍政権は没落するしかない。
安保法案を廃案にし、民主主義をこの手に取り戻すまで、私たちの連帯と抵抗は決して途切れることはない。

自由と平和のための京大有志の会 × 安保関連法案に反対する立命館有志



「無理が通れば道理が引っ込む」ってなわけにはいきそうもありません。


もう一つ。

国民の「主権者意識」を目覚めさせた安保法案審議 

2015年7月20日(月)16時0分配信 THE PAGE

安保法案は衆議院で圧倒的多数の与党により16日の衆議院本会議で可決され参議院に送られた。「60日ルール」がある事を考えれば、参議院で可決されなくとも法案の成立は可能である。米国議会で「夏までに成立させる」と安倍首相がぶち上げた国際公約を果たす道筋はつけられたと言える。

一方、安倍首相は翌17日に、国民の批判が高まりを見せていた新国立競技場の建設計画を白紙撤回する方針を表明した。前の週には建設計画の見直しを強く否定していたから突然の方針転換である。何がそうさせたか。安保法案を巡り内閣支持率の下落に歯止めがかからない事がそうさせた。国民の世論が政府の方針を変えさせたのである。

「たったの2500億円」から一転

仮に支持率が下がらなければ、新国立競技場は当初のデザインと費用のまま建設された事は間違いない。それは東京オリンピック・パラリンピック組織委会長を務める森元首相の言葉から分かる。森氏は見直しが決まった後、「(国民が)金をかけるなと言うのだから仕方がない。たった2500億円を国が出せなかったという不満はある」と記者団に語った。

森氏も安倍首相も競技場の建設費用は「たった2500億円」という意識だった。前の週まではその考えで建設を進める方針だった。ところが一方、安保法案の審議をめぐり世論調査は厳しい反応を示し続ける。政府の説明を不十分と考える国民が8割を超え、過半数を超える国民が今国会での成立に反対である。しかもその数字は審議が進めば進むほど政府に不利になっていた。

衆議院の委員会で強行採決が行われる直前には、第二次安倍内閣発足以来初めて内閣支持率で支持と不支持が逆転する。安倍首相の胸に不安が増したことは間違いない。しかし国民の声に耳を傾け、今国会での法案の成立を断念すれば、安倍首相は「国際公約に違反した無能な首相」と国際社会から評価され、間違いなく政権崩壊につながる。

一方で、国民が求める慎重審議を続けても国民の理解が得られるとは限らない。それが国会運営を余裕のないものにする。15日に委員会で強行採決、16日に衆議院本会議で通過を目指す方針が決断された。

しかし同時にその週末にはメディアの世論調査が行われる。そこに強行採決に対する国民の反応が現れる。それを悪くさせない方法として、国民に評判の悪い新国立競技場の建設方針撤回を安倍首相に発表させ、評価を上向かせる方法が考えられた。だからそれは17日に発表される必要があった。

これまで散々批判されながら、新国立競技場の建設計画が撤回されなかったのは、安倍首相の後ろ盾である森元首相がいたからである。最高権力者の後ろ盾には誰も表立った批判が出来ない。あるいは誰かが批判をしても組織の人間は誰も動かない。森氏の考えを変えるには安倍首相が説得するしかなかった。

支持率の低下と「国際公約」の間で強行路線を採った安倍首相は、支持率へのダメージを最小化するため、森氏を説得して17日の発表に間に合わせた。

国民置き去りの「解釈改憲」決定

この一連の出来事は、世論が政府の方針を変えさせる力を持っていることを国民に教えている。新国立競技場の建設計画に多くの国民が疑問を呈し、そして安保法案をめぐる国民世論の反発がなければ、建設計画の見直しはなかった。安保法案が建設計画を見直させたと言える。

それでは安保法案に国民の支持が上向かない理由は何か。政府与党は、日本国民が平和憲法を盲信し、国際情勢に鈍感で、戦争に漠然たる不安を持つ事が理解を阻んでいると考えているようだ。しかし私は法案の内容以前に、憲法の改正にも等しい解釈の変更を、国民を参加させずに閣議決定してしまったところに間違いがあると考えている。

安倍首相は閣議決定を「歴史的転換」と胸を張る。ところが「歴史的転換」は国民に相談することなく行われ、安倍首相はそれを諸外国に既成事実のように宣伝して歩く。しかし国民には何も内容が知らされていない。

5月末にようやく「歴史的転換」を可能にする法案が国会に提出された。ところが安倍首相が「夏までに成立させる」と諸外国に約束したため、政府与党は審議を急ぐ。誰だって「ちょっと待てよ」と言いたくなる。

そこで初めて国民は「憲法って何だ」と意識するようになる。国の基本を変えるには国民参加が必要だという仕組みを知る。ところがそれが国会の議席数だけで決まってしまっていく様を見せつけられる。確か選挙では「歴史的転換」などテーマになっていなかったと思い出す。

つまり安保法制の論議が始まって国民は、それまであまり意識していなかった「主権者の意識」に目覚める機会を得た。そこに新国立競技場の建設計画撤回を見た。国民が政府の方針を変えさせる力を持つ事を知った。これが参議院審議にどのような影響を与えるか、あるいは影響を与えないのか、私はそれを見守りたい。

(ジャーナリスト・田中良紹)

http://admin.blog.fc2.com/control.php?mode=editor&process=load&eno=1207



安倍首相は、2つのグループを敵に回したということです。

そもそも集団的自衛権行使容認に反対の人。

そして

集団的自衛権行使容認は必要だが現行憲法では無理だと思っているが、改憲するのではなく解釈変更というやり方に危機感を覚え反対している人。

この2つの反対意見が、ごっちゃ混ぜに議論されているから、論点や問題点が明確化しない。
だからいつまでも深まった議論ができずにわかりにくいんですよ。

そしてこの2つのグループに最近加わったのが、「しっかり議論もせず強行採決という強引な採決のやり方に反対の人」。

単純に考えれば、この3つのグループに安倍首相全面的支持の合計4つのグループがあるのだから、安倍首相の支持率は25%まで下落してもおかしくないということですかねぇ(←考え方が単純すぎ?)








コメント
この記事へのコメント
彼らの意見は、「説明したから理解しただろう」ってところにしかなくて、説明したかんだから拒否するなってことみたいに思えて仕方ないんです。

法律なんてある意味一つの意味しかないものを湾曲して答えを作り出して新たにそれを合法化させてしまうような政治家はいらないですね。
そもそも政治家はいるのか?って思います
2015/07/17(金) 12:18:36 | URL | Wombat #-[ 編集]
説明したという既成事実を作りたいだけなんですよ。理解できないのは、理解しようとしない国民が悪いんだ、くらいにしか思ってないんでしょうね。もしかしたらきっちり理解してしまうと、都合が悪いと思って、はぐらかしているのかもしれません。
私、少年野球で監督してますが、コーチ時代に前監督から「子供達が上達しないのは、子供達がわかるような、できるようになるような説明や練習方法を提示してやれない監督がクソだからだ。」と言われ、今でも肝に銘じて指導しています。
今の政治家は、クソ監督にしかなれないでしょうねぇ。
2015/07/17(金) 13:29:46 | URL | 三流亭まん丸 #-[ 編集]
まさに犬の訓練と同じですね。

犬の訓練学校に通って12週間の訓練のあとのテストがあって落第する飼い主の大半は犬のせいにするんですよ。犬を叱ったりしている。

でも結局犬にうまく伝えられない飼い主の責任なんですよね。

もう本当にクーデターとかおきないと日本はダメかもしれません
2015/07/17(金) 20:08:32 | URL | Wombat #-[ 編集]
昔は自民党内に派閥という党内野党があって、様々な主張や意見が激しく議論されだんだん集約されて、ある程度バランスのとれた政策として実行されてきたわけですが、現在は小選挙区制で派閥が無くなり、党からの推薦やポストをもらうために時の権力者への太鼓持ちみたいな輩ばかりとなり、党内野党という歯止めがなくなり政策があまりにも極端になってきました。
「派閥はいいもんだ」とは決していいませんが、やはり民主主義の肝は、様々な意見を集約し議論をし、すべての有権者が100%満足できないまでも、できるだけ多くの有権者が60~70%くらい満足できる落としどころを見つけ出すことだと思います。有権者の80%以上が反対して、裸の王様だけが100%満足している現状は、やはり相当おかしいと思いますねぇ。
2015/07/18(土) 11:04:38 | URL | 三流亭まん丸 #-[ 編集]
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