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2015年02月23日 (月) | 編集 |
最近、世間を騒がせている「異物混入」。
今回はその「異物混入」について考えてみようと思う。


いきなりだが、たとえば…。

彼女の「私の大きな野望」がスープの中に入っていても、これは異物ではない。
大きな野望は目で確認できず、一見普通のスープに見えるからだ。
では、5cm位に超巨大化したクマムシ(通常は50㎛)が入っていたらどうだろう。
それは間違いなく異物だ。
5cm位に超縮小化したクマムシ(コンビ)が入っていたら?。
そんなもん直ちに廃棄処分だ。
いくら「あったかいんだからぁ」と懇願されても冷酷に全廃棄だ。
まとめると、大きな野望は異物ではないが、クマムシは異物。
異物か否かは、その形状を直接的に視認できるかどうかということになりそうだ。


では次に、魚の骨で考えてみる。
塩焼きにした鯛をガブッと欲張って頬張ると、
中に骨が紛れていて、とてもイタ~イ思いをすることがある。
私が大好きな鯵の干物も、バクッと一気に食らいつくと骨が刺さる。
魚の骨は異物ともいえるが、でも魚の骨を異物と言う人はいない。
なぜなら、魚に骨があるのは
「あたりまえ あたりまえ あたりまえ 鯛・鯵~♪」 だからだ。

アサリの砂はどうだろう。
味噌汁のアサリをパクッといただいたとき、ガリッとなることがある。
豚汁飲み干した後に、椀の底に砂が溜まっていたら間違いなく大騒ぎになるが、
アサリの味噌汁だと全く騒ぎにはならない。
砂が椀の底に溜まっていようが、それどころか口の中でガリッとなろうが、
「まだ砂抜きが不十分だったか…」と意外とアッサリ納得してしまうのだ。

魚の骨も、アサリの砂も、異物といえば異物なのだが
それがあるのは当然だという意識が無意識に存在しているため、
たとえそれに遭遇しても、騒ぎたてる対象としてとらえていないのだ。
だとすると、異物とは「当然そこにあるであろうモノ」ではなく、
「本来そこにあってはならないモノ」だといえそうだ。

砂をかむような内容の説明ばかりで申し訳ないが、
ここまでの話、なんとなくご理解いただけただろうか。


話がちょっと脱線する。

真珠はどうやってできるか、ご存知だろうか。
実は真珠は、アコヤガイの、貝殻と柔らかな身を包んでいる膜との間に異物が混入し、
その異物が身を傷つけないように膜の一部がはがれてそれを包み込み(真珠袋)、
粘液(真珠質)を分泌させその袋を丸くコーティングしたもの…だそうだ。
書いている本人がよくわかっていないので、「詳しくはWebで」。

同じモノでも、アコヤガイにとっての異物は、我々にとっての真珠の元。
つまり、混入したモノが異物がどうかの判断は
その人(モノ)にとって、混入したモノがどういう価値を持つものなのか?
ということが大事なポイントだといえそうだ。
有益なら棚から落ちてきたボタモチ、
精神的・肉体的に苦痛を伴うなら異物なのだ。

…ところで、アサリはなぜ砂粒を体内でコーティングしないのだろうか?


話を戻そう。

これまでの話をまとめてみると、

 1、直接的に視認できるモノ
 2、本来そこにあってはならないモノ
 3、精神的・肉体的苦痛を与えるモノ

の3要件が揃うと、それは異物といえそうだ。
そしてそれがあってはならない場所に存在することが
「異物混入」ということになる。


ということで、結論。

酢豚のパイナップル
ハンバーグ上のリングパイナップル
ポテトサラダの皮付きスライスリンゴ
コールスローサラダのレーズン
カレーのサフランライスの干しレーズン
メロンを覆う生ハム
ワカメの酢の物の上に載っている缶詰めミカン
素麺の上に載っている缶詰めサクランボ
千切りキャベツに添えてあるパセリ

以上は、異物混入。





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