まことか、うそか、あること、ないこと、てきとうに。話半分でご覧ください。 
2014年07月01日 (火) | 編集 |
あ~あ、また書いちゃった。
政治の話を書いちゃった。
でもなんか、書かずにはいられなかったんですよね。
独り言なんで、コメント・TBは閉じておきます。
もちろん通常の記事にはカウントしません。



戦後日本の安全保障政策の方針が国民的議論もなしに
安倍首相の意向により転換されるのが時間の問題になってきた。

何度も書いているが、時の為政者を縛るための国民が持つ最高法規・憲法を
その為政者が好き勝手にその解釈を変更し権力を行使できるようにしてしまうのは
どう考えてもおかしいことだ。憲法の無力化・形骸化を図る暴挙としかいいようがない。
「憲法?そんなの関係ない。首相の俺がやるって言ってんだからそれでいい」
もしかしたら政策の転換は日本にとって必要なのかもしれないが
それを首相の一存で決めることが果たして許されることなのであろうか。
安倍首相から「法にのっとって」「法治国家」などという言葉が発せられると
「あなたのどこに法を遵守するという考えがあるんですか?」と問うてみたくなる。
これでは権力者の意向で何でも決まる独裁国家と同じではないか。
安倍首相の下の名はジョンウンではあるまいか?

もうひとつ気に入らないことがある。
安全保障政策は2つの側面から成り立っている。
1つは、非常事態に即応できる為の準備(環境整備)をすること、
そしてもう1つは非常事態を招かぬような外交努力を続けることだ。
この2つが両輪となってガッチリかみ合うことで安全保障政策は効力を発揮する。
だが安倍首相は非常事態に即応するための準備をすすめることは怠らないが
非常事態を招かぬような外交努力をしてきたのだろうか。
「対話の扉は常にオープンだ」と口先だけでいいながらも
首相就任以来、隣国の中韓との首脳会談を
自らが積極的に働きかけたことがあっただろうか。
別に中・韓の一方的で聞くに値しないくだらないアホみたいな主張を
受け入れろといっているわけではない。
中韓が要求する「ふざけんな!」的な会談条件を飲めといっているわけでもない。
ただ、そういう事を理由に何度会談を断られたとしても
前提条件なしに首脳会談を実現させるためのアクションは
何度でも安倍首相から起こし続けていかなければならない。
たとえ10000回ダメでも、10001回目は変わるかもしれない。
そしてもし会談が実現したら、私の安全靴を貸してやるから
笑顔で握手をしながら、テレビから見切れた足元でお互いの足を蹴り合え!
周りにいる人からの又聞きを根拠に離れた場所で批判し合うのではなく、
腹を決めて面と向かい、顔を突っつき合わせて直接罵り合ってこい!
「お互いが理解しあえない考えを持っていることを、お互いに理解した。」
それが外交であり、理解し合意することよりも
「理解しえないことを理解した」を繰り返していくことが何よりとても重要な事なのだ。
小学生のガキじゃあるまいし嫌だから、気に食わないから会わないでは
首相としての責任を放棄しているのと同じことだ。
何度あっても喧嘩別れ、それでもお互いの顔を見ながら
自らの主張をぶつけ合う機会を重ねていくこと。
それにより中韓相手に信頼感が生まれるなんてことはこれっぽっちも考えていないが
それを繰り返すことで相手の考え方、出方みたいなものがわかってくるのではないだろうか。
そしてその「みたいなもの」を嗅ぎ分ける感覚を磨くことこそが
非常事態を招かない為の最良の策なのではないのか?
これをやらずして力の拡大ばかりを推し進める安倍首相には不信感がいっぱいだ。
力による現状変更は一切認められないのだ。

最後にもう一つ。
安全保障を巡る安倍首相の話には「集団的自衛権の行使は必要だ」はあるが、
それを行うことで新たに我々国民に科せられるであろう義務の話が全く無い。
つまり海外の邦人の生命を守るため、国民の財産を守るために必要なのだ、ばかりで
だから国民にはこういう負担が増えることになる、という負の説明がないのだ。
そこをきちんと語らずして国民に理解を求めようとしてもそれは無理な話だ。
集団的自衛権を行使中に些細なことから戦闘状態となり自衛隊員が命を落とすかもしれない。
偶発的な事態が発生し戦闘が拡大、日本が戦争に不本意ながら巻き込まれるかもしれない。
戦争状態に陥った時日本を射程圏内に収めている戦闘相手国のミサイルが
日本めがけて発射されるかもしれない。
私達の子供・孫たちが徴兵されたり、戦時召集されたりするかもしれない。
戦費がかさみ、税率が跳ね上がり、生活が苦しくなるかもしれない。
極端な内容かもしれないが、国民はこういうことを心配しているのだ。
集団的自衛権行使を容認することから発生するかもしれない負の面を心配している。
安倍首相はこういう国民の心配に対して真摯な説明をしていない。
「考えすぎでそういう心配は無い」というのなら、
「万全の態勢で臨むから」などという抽象的で気休めのような言葉ではなく
集団的自衛権を行使しなければ解決できない事例を示した時のように
具体的な方策を示して「心配ご無用」の説明をわかりやすく丁寧にするべきだ。
だが、戦場には絶対はない。何がどうなるかわからない。
最初からこうなるであろうと予測できるのならば戦闘など起きないからだ。
だから今、こういう国民の心配を「絶対に無い」と言いきったら
私は集団的自衛権行使を容認するための方便としか思えない。
集団的自衛権行使によるリスクとリターンを正直にきっちりと説明すべきなのだ。
「良いとこしかいわない奴は決して信用してはならない」は、婆ちゃんの遺言だ。
安倍首相はどうしても信用ならない。



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6月12日付 真面目な記事。「政治の話」




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