まことか、うそか、あること、ないこと、てきとうに。話半分でご覧ください。 
2017年04月17日 (月) | 編集 |
どうも。

三流亭まん丸でございます。



何を隠そう、
いや別に隠していたわけでもありませんが、
わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又・・・
ではなくて

長嶋茂雄さん風に言うと、「野球とは人生そのものだ。」
英語でかっこよく言うと、「No Baseball, No Life.」
妻の立場から言うと、「野球バカ」

なんでございます。



球歴を簡単にザッと申しますと
正式に本格的に野球を始めたのは中学野球部に入部してから。
長嶋茂雄さんに憧れてサードを希望するも、
大人の事情からショートにコンバート。
その後もチーム事情から、
ファースト→セカンド→捕手とコンバートされ、
中2の秋には投手を除くすべてのポジションができる
スーパーマルチプレイヤー(今風に言うとスーパーサブ)として
ベンチ入りを果たします。

・・・と、かっこよく書いてますが、
どこのポジションもそこそここなすけれど、
かといって特別うまいわけでもなく、
補欠としてベンチを温め続けた、ということですよ。

ま、そんなこんなで大学卒業まで野球を続けましてね。



大卒後、百貨店に勤務していた4年間は
野球から離れておりましたが
大学時代の野球の先輩の結婚披露宴のさい、
半ば強制的に「お前ら、なんかやれ!」と命じられて
集結を余儀なくされた同期の面々と
再会したことがきっかけとなりOBチームを結成。

40歳までのほぼ毎週日曜日、
朝4時に起きて1時間かけて河川敷グラウンドへ行き
朝5時からの早朝野球に精を出しました。
時々腕試しに大会にエントリーしたりして、
なんと都大会のベスト4まで行ったんですから、
たいしたもんですよ。
むしりとった衣笠・・・、
昔とった杵柄ってやつですねぇ。

私?

私はもちろん、スーパーマルチプレイヤーとして・・・。



38歳のころからは
長男が入部した少年野球の手伝いも始めたので
朝5時から夕方17時過ぎまで
野球一色という生活となりました。
が、さすがに「気力と体力が限界」、
そして何より「妻の我慢が限界」にいたり
泣く泣く少年野球に専念することとなりました。

少年野球では主に低学年チームの指導に携わり
3年目に「おやじコーチ」から「ヘッドコーチ」に昇格、
7年目からは低学年チームの「監督」に就任。

野球だけでなく、えらそうに

子供相手に人の道、人生などを説く男、あ~あ~ ♪

・・・って、ムッシュかまやつかっ!


区大会を勝ち上がり、ヘッド時代に1回、監督時代に1回、
上部大会へ進出したこともあるんですよ。
とはいうものの、
それは子供たちが頑張ったわけで、
私は座ったまま、ただベンチを温め続けてただけです。



そして今春、
次男のチーム卒団と一緒に
私もチームを退団いたしました。
10年間の少年野球を最後に、
野球から引退いたしました。

13歳で本格的に野球を始めて以来
今日にいたるまでの約35年間、
大好きな野球に関わりあいながら
ここまでやってこられたことは
とても幸せなことだと思っています。

一緒に白球を追い続けた仲間たち、
そしていろいろと迷惑をかけた家族に、
心から感謝いたします。


ああ、我が野球人生に一片の悔いなし!





・・・メジャーリーグでプレイできなかったことを除けばね。



このブログのタイトル「メジャーへの道」は
そういう意味だったんですよ。

タイトル、変えなきゃならないかなぁ。(笑)








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