まことか、うそか、あること、ないこと、てきとうに。話半分でご覧ください。 
2015年12月31日 (木) | 編集 |
心の友ともいうべき奴が1人おりまして
大学を卒業してから毎年欠かさず、
年末に二人で呑んでおります。
年に1回だけですがね。

そんなようなお話です。



学生時代の友と、久しぶりに呑んだ。
当時2人でよく行ったカウンターだけの小っちゃな居酒屋で。
「新婚の頃はあれほど可愛らしかったのに、最近は妻が狂暴化してなぁ。」
「女は年齢を重ねるごとに強くなるんだよ。」
「子供が生まれると一層たくましくなるのかな。」
なんていう愚痴を酒の肴にしながら、心和むひと時を過ごしていた。

「あ、大将。刺身三点盛り、お願いね。」
昔と何一つ変わらぬ見事な包丁さばきだった。
「はい、お待ち。」
ところが皿の上には赤身とイカしかなく、あるはずのハマチが無かった。
「大将、2点盛りじゃないの、これ。」
「もう酔っちゃいましたか? (笑) 」
ハマチは隠れていた。

「・・・このハマチ、今の俺たちみたいだな。」

「どこが?」

「ツマの下敷きになっている。」

「はは、しかも出世してないしな。」


ああ 友と良き酒を
時を憂いて飲みあかしたい
今も昔もこの酒つげば
心地よし ♪



…居酒屋の夜は更けていった。





みなさま、どうぞ良いお年を。






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2015年12月30日 (水) | 編集 |
日本全国、大晦日イブです。
年末年始は帰省や家族旅行などでブログに訪問してくださる方が非常に少ない時期でございますが、

今、このブログをお読みくださっているアナタ!

そんな稀有なアナタの為に、過去記事の中から「あくまで自己満足で面白いと思われる記事」を計5本ピックアップいたしました。(若干の加筆、削除等あり。)
年末年始は特番・総集編という名の「つかいまわし」と相場が決まっておりますので、今日から三が日までの5日間、毎日1本ずつご紹介していきたいと思います。
ただし皆様のご想像通り、予約更新でございます。
賞賛の声、絶賛の嵐、苦情、批判等のコメントには直ちにレスポンスできないことをどうぞご理解いただき、お許しいただければと存じます。

それでは、本日のおはなしです。



今年も、日本国中を、あらゆる日本人を巻き込んだクリスマス狂騒曲が終わった。

本来キリスト教徒以外には何ら関係ない日であり、なぜそこらへんのおっさんまでもが「メリークリスマス!」って大騒ぎするのか全く解せないのだが、寒風吹きすさぶ街中のあらゆる場所にミニスカサンタ姿の可愛いお姉ちゃん達が溢れだす光景はたまらなくグッドなので、まぁ良しとしよう。
しかし、なんでミニスカサンタお姉ちゃん達はあんなにかわいいのだろう。
「ゲレンデのお姉ちゃん達は街中よりも5倍可愛く見える理論」を適用したいくらいに可愛い。
その一方、駅前や商店街でトナカイ姿の大学生バイト野郎が手当たり次第にビラやチラシを配りまくっていると普段の20倍以上鬱陶しい。

さて、クリスマスとは一体何の日なのだろう。
改めてこう問われると、仏教・神道・キリスト教・無宗教等の各教義上重要な習わしやしきたりの上辺だけいいとこどりする日本人の中で、簡潔明瞭に回答できる人はそれほど多くないのではなかろうか。
クリスマスとは、生まれてすぐに四方に7歩ずつ歩き、右手で天を指さし左手で地を指し「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」…、これは失礼、お釈迦様と福沢諭吉が混ざってしまった。
お釈迦様は「天上天下唯我独尊」と仰られ、その誕生日である4月8日は花祭りとしてお祝いされている。
また「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」は、一万円札の肖像で有名な福沢諭吉が記した明治期の大ベストセラー「学問ノススメ」の冒頭の一説であった。

ちょっとばかり余談ではあるが、慶應義塾においては福沢諭吉の命日(2月3日)を「雪池忌」と呼び、この日に墓参すると絶対に落第しないという伝説があるため、落第ラインギリギリの塾生たちが大挙して、福沢諭吉の眠る麻布山善福寺に押し寄せるらしい。
もちろんその中には創立者に敬意を表し墓参している塾生・塾員もいらっしゃるのだが、その場凌ぎの善行で落第を回避をもくろむ塾生も多数存在しているのは事実。
でも、それだけで進級できるほど世の中は甘くない。
墓参する時間を救済レポートを執筆する時間に充てた方が落第回避に有効という事実に気付かないようでは、「慶應義塾の塾生」とはいえず、「低能未熟を熟成」しているとしかいいようがない。
ま、もっとも、そこに気付くような者は、落第の危機に直面するわけがない。
でもゆくゆく考えてみると「人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という福沢の金言を無視し、塾生を成績で順位付けする慶應義塾の現状がそもそもおかしいといえるのではないだろうか。

かなり脱線してしまったので話を元に戻す。

クリスマスとはイエス・キリストの降誕、つまり誕生を祝う祭り(誕生日ではない)なのだそうだ。
仏教でいうところの花祭りとほぼ同じ意味合いを持つ日といえそうなのだが、4月8日に日本国中を巻き込むようなバカ騒ぎやライトアップでピッカピカ、なんてことはまるで聞いたことが無い(というクリスマスだって、本来ならバカ騒ぎやライトアップでピッカピカという類のお祭りではなく、教会で静かに祈りを捧げる日のはずだが・・・)。

ではなぜ古来から仏教の影響を色濃く受けている日本で、花祭りよりもクリスマスの方が広まっているのだろうか。

様々な理由が考えられるが、食す物の違いを1つ目の理由に挙げてみたい。
花祭りでは甘茶を飲む。
お祭りなのに酒ではなく、甘茶なのである。
甘いといいながらなんとも渋~いお祝いの仕方である。
一方クリスマスは七面鳥にシャンパンという豪快で派手なお祝いの仕方である。
普段は勤勉実直ゆえに、ひとたびお祭りとなると酒飲んでバカ騒ぎしハメをはずしたい日本人には、渋~くお祝いする花祭りよりも派手で豪華で酒飲んでバカ騒ぎできるクリスマスの方が魅力的なのかもしれない。
でも、そうはいっても日本人は、その通り、まんまの形ではお祝いはしない。
なぜそうするのかという本質を理解しようとせず上辺だけを何となく真似し、いともたやすく日本人にあったスタイルに変容させてしまうのである。
焼くのが豚ではなく七面鳥なのは、きっとそれなりの意味があるのだろう。
でも七面鳥を丸ごと焼くのは七面ちょう(どう)くさいし、発泡酒ならシャンパンよりもっと安価で手に入りやすいものがある。
「クリスマスにちなんでっと。…ちと違うけど、まぁいいか、クリスマスだし。」
私も昨夜の晩酌には「焼き鳥に第三のビール」をいただいた。
ご多分に漏れず私も「THE 日本人」であることを大いに自覚した。

2つ目はサンタクロースというキャラクターが存在することだ。
トナカイのひく空飛ぶソリに乗って世界中の子供たちにプレゼントを配る真っ赤な服を着た人のよさそうな小太りお爺さんというキャラクターが、人々に夢と希望を与えているのだ。
こんないい人がやってくるクリスマスは万人に受け入れられやすいだろう。
一方、花祭りにはそういうキャラクターは登場しない。
ま、もっとも深夜に子供たちの枕元に真っ赤な炎に包まれた不動明王クンが突然表れたら、それこそ鼻から涙、目から鼻水、驚愕と絶叫の阿鼻叫喚の世界が繰り広げられるに違いない。
まさに修羅場だ。

そして最も重要なポイントはプレゼントの有無である。
クリスマスにはプレゼントが付き物だ。
当初プレゼントは子供を喜ばす目的だったと思われるが、それなら盛り上がるのは子供だけであり、出費がかさむ大人にはあまり歓迎されないはずだ。
ではなぜ老若男女を巻き込んで、ここまでクリスマスが盛り上がるようになったのか。
それはプレゼントの役割が、意中の異性をおとすための必殺アイテムへと変容しそれが主流になっていったからだ。
そしてそのプレゼントをめぐる男と女の駆け引きを野次馬の立場で見ることもできるし、時と場合によっては自らが体験できる。
つまりクリスマス自体が恋愛ドラマ化し、誰でもその主役を疑似体験できるイベントにもなったわけだ。
「惚れた・腫れた」「くっついた・離れた」系ドラマが三度の飯より大好きなのが日本人だ。
盛り上がらないわけがない。
一方花祭りにはプレゼントをやりとりする慣習はない。
甘茶をすすりながらお坊様から徳のあるお話を聞いても、心は和み穏やかにはなるが、盛り上がるわけがない。

ということで日本人を熱狂させるクリスマス。
その日は12月25日なのだが、頭と心は11月中旬から1か月もの間クリスマス一色に染まっている。
「つまらないものかもしれないけれど…」と謙りながら(=ちょっとカッコつけながら)高価で希少なプレゼントをすることに至福の喜びを覚える日本人は、クリスマスの1か月以上前から「つまらないプレゼント」をあーだこーだ言いながら探し続ける。
渡した時の相手の驚きと喜びに満ちた表情を想像しながら、あーでもないこーでもないと言いながら探し続ける。
そして1か月もの間、妄想に妄想を重ね、徐々に熟成していった気持ちの高ぶりが12月25日にクライマックスを迎え、プレゼントを手渡した瞬間にさく裂する。
相手の喜ぶ様子に、心の中は歓喜の自己満足で満たされ、自己陶酔とその余韻に浸るのである。クリスマスがキリストの降誕をお祝いするお祭りであることなど、もうどうでもいいことなのだ。

しかし、時は新年まで残り1週間を切り先生も走りまわるほど大忙しの年の瀬である。
クリスマスのことだけを考えて1か月間過ごしてきた日本人は、クリスマスが終わった26日になってハッと気づくのだ。
「お歳暮やってない。」
「大掃除してない。」
「年賀状書いてない。」
「おせちの予約は?」
「買い出しに行かなければ!」
12月の声を聞いてから少しずつ準備を始めていれば全く慌てることもないのだが、いかんせんこの時期からではどうジタバタあがいても間に合うはずがない。

「 祭りの後 」 では 「 後の祭り 」 なのだ。



 
                       ( 了 )






あと2日、ここからが勝負ですよ。(笑)








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2015年12月24日 (木) | 編集 |

歳末大売り出し!の季節ですので、
今回は超豪華2本立てでいきますよ!

・・・超豪華なわけないやん。(苦笑)



< 1本目 >

え~、昨年ブレーク、今年ここまで1回も聞いていない流行語に
「いいじゃぁないの」「だめよ~ん、だめだめ」がございます。

男と女の恋のかけひきには「だめ」と「いや」は欠かせません。
「いやよ、いやよも好きのうち」
「だめよ、だめよもいいのうち」
「だめ」「いや」の裏に隠されている相手の真意を鋭敏に察知することこそ、
恋愛の上手・下手の境界線といえるのではないでしょうかね。

「ね、このあと、どう?」
「いやよ」

この段階ではちょっと判断つきかねるので、もう1回チャレンジします。

「いいじゃん、ちょっとくらい。」
「いやよ」

2回目も「いやよ」だとペケなのかな?と思い始めますが、
確認の為にもう1度だけ聞いてみます。

「絶対に楽しいからさぁ、ね。」
「いやよ」

3回断られたら、普通の人は諦めます。
でも、達人はここからが違うんですよね。
ギアが一段切り替わります。

「君と行きたいな。」
「いやよ」

「君と行きたいんだ!」
「いやよ」

「君じゃないと行く意味がない!」
「いやよ」

「君が行かないのなら、もう生きてる意味がない!」
「もう・・・、いいわよ。」


これ

いやよ(184) × 6回 = いいわよ(1104) 

の法則といいます。



本日はクリスマスイブです。

みなさん、頑張ってください。




【今週のおまけ】

  猪木

イチ、ニッ、 サン…  ターッ!! 






< 2本目 >

少年野球に携わるようになって来年で11年。
1学年10人として、実に100人ものマメ君達とかかわってきたことになるんですけど、
ほぼ全員のことを意外としっかり覚えてるもんです。
み~んな、可愛い息子みたいなもんですからねぇ。
・・・それにしても100人とは、ビックリポンや!

今現在、一応監督(←現場監督ではない、念の為)という立場におりますので、
マメ君達相手に野球以外のこともいろいろとエラそうに語ってます。
その中でも、10年間終始一貫言い続けてきたことがこれ。
「今日という1日は、昨日よりも良い日になるように努力する為の1日だ。」
なんだかわかったような、よくわからないようなお言葉でございますね。(笑)
簡単にいえば
「今日という日が昨日よりちょっとでもいい日になるように頑張りなさい」
ってことなんですけど、こういう風にちょっとまわりくどい言い方をすると、
なんとなく威厳が感じられて格式高くなったようでカッコイイでしょ。
・・・カッコよくなればなるほど、マメ君達がその内容を理解しにくくなるという
本末転倒ともいうべきデメリットがあるんですけどね。(笑)

さて、残り僅かとなった2015年の回顧でもしましょうか。
エラそうに語っている私自身が、
今年1年をこの言葉のように過ごしてきたかといえば・・・

   あっはっは!

と笑ってごまかしたいほど、してません。(笑)

いやぁ、本当に、あ~れ~と流されましたねぇ。
気が付けば、もう1年が終わろうとしているわけで。
マメ君達にはさんざんエラそうなことを言っておきながら
言ってる本人がこのザマじゃ、何の説得力もありませんよねぇ。
「昨日よりも良いと思える今日にしよう」
来年こそは、実践したいと思います。

・・・とは言ったものの、これを実践するときは、
自分が良いと考えることを自分のやりたいようにやったらダメですよね。
だってもしかしたら自分が良いと考えていることは、
他人様からしてみれば迷惑なことかもしれないですし。
大事なことは、他人様の考え方を理解し、価値感や立場を尊重し、
おもいやり、慮ること。
その上で自分が良いと考えていることとのバランスを図り、実行に移すこと。

野球がうまくなりたいからといって
今いる満員電車の中で素振りしちゃまずいでしょ。
グラウンドに着いてから思う存分素振りしましょうよ。


ってことです。
他人様への配慮が無ければ、それはただのわがまま三昧、
自分勝手のやりたい放題と同じことですからねぇ。

2015年の世界(日本もね)を振り返ってみると
「他人様を慮ることなく、自分が良いと思うことを自分のやりたいようにやっていた」
わがまま三昧、やりたい放題だらけだったような気がします。

野球がうまくなりたいから素振りしただけじゃ。
はぁ? ここは満員電車の中だって?
いったい何が悪いんじゃ!


ってな感じ。
しかも、自分が良いと考えることの具現化の為には、
他の意見や価値観を無視し全く受け入れないばかりか、
排除・駆逐、服従さすべく攻撃を加える。
これじゃあ、あっちゃこっちゃで衝突が起きるのも無理はない。
けれどその状況を、指をくわえて見ているだけでいいわけがない。

3月に実弟一家に誕生した玉のような女の子、
我が家のニキビ面の長男にプチ反抗期の次男、
野球に一生懸命なマメ君達・・・
そういう子供達、世界中の子供達が、
将来にわたっていつまでも笑顔で過ごせる日々を作り上げていくのが
我々の役目です。

来年こそ、世界中の皆さん一人一人が
「他人様を慮りながら、昨日よりも良いと思える今日にしよう」
と少しずつ努力し、日々を積み重ねていけば、
世界はきっと変わっていくと思います。
いえ、変えていかねばなりません。

昨日よりも良い今日に、今日より良い明日に。


どうか来年は今年よりもよい1年になりますように。




  Merry Christmas & a Happy New Year !











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2015年12月17日 (木) | 編集 |
え~、あと2週間で大晦日。
だいぶあわただしくなってまいりましたねぇ。

仕事もバタバタと立て込み、ブログなんぞに構っていられない・・・
というわけでもないんですよね。
期末テスト直前に部屋の掃除したくなるでしょ。
それと同じ。(笑)

でもまぁ一応、正月のモチ代を稼がにゃいけませんので
どっかの梅酒ではありませんが今回はサラリといきましょう。



赤い洋服を着た黄色い元気な子ぐま、その名はブー。

ある日、ブーさんのおじさんが
たくさんのはちみつを持って遊びに来てくれました。

はちみつが大好きなブーさんは大喜び!
食いしん坊のブーさんは
わき目もふらずおいしそうにはちみつを食べ続け
ぺろりと全部食べてしまいました。

「あっ、おじさんの分も食べちゃった…。ごめんね」
ブーさんはおじさんにあやまりました。
「気にしないでいいよ」
おじさんはニコニコしながら答えました。

「おじさんはおなか、すかないの?」
と、ブーさんが聞くとおじさんは
「今晩、一番好きなおかずをいただくから大丈夫さ。」
とやさしい声で答えました。
「何をおかずにするの?」
ブーさんは興味津々でおじさんに聞きました。
おじさんは顔を赤らめて恥ずかしそうに答えました。


「・・・だんみつ。」





サラリと書きましたけど、
悪酔いしそうな内容ですねぇ。






【今週のおまけ】

壇蜜さん

   め、し、あ、が、れ  





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2015年12月10日 (木) | 編集 |
え~、もうすぐ12月14日。
赤穂浪士、吉良邸討ち入りの日でございます。
というわけで今回は「忠臣蔵」でいきますよ。

ご準備はよろしいか。

いざ、参らん。

おのののかは ムチ尻でござる!




時は元禄。
江戸城内での出来事である。

日頃から浅野内匠頭を快く思っていない吉良上野介、
その2人がバッタリと鉢合わせた。
吉良の心持ちなど全く知らぬ浅野、すかさず吉良を呼び止める。
「吉良殿! 恐れながら、是非お教え願いたき事がございまする!」
「これは浅野殿…、何用でござるか?」
浅野は塀越しに見える城外に立つ柱を指さし、吉良に訊ねる。
「あれは何でございましょうや?」
「電信柱、でござるな。」
「電信柱・・・。」

すると浅野が今度は先程と異なる柱を指さし、吉良に訊ねる。
「では、あの電信柱のような柱、あれも電信柱でござるな。」
「否、あれは電信柱ではござらん。」

浅野は少々むっとしながら
「先程、吉良殿はあのような柱を電信柱と申されたが。」
「あの柱は電信柱とは異なるものじゃ。」
「電信柱ではないと?」
「左様。」
「どうも合点がいかぬので、その違いをお教え願いたい。」

吉良はふぅ~っと大きなため息を一つつくと、浅野に対して
「そんなこともわからぬとは、貴殿は噂通りのバカ侍じゃの。」
「?!」
吉良の思いがけない衝撃の一言に浅野は驚く。
が、吉良はその様子にかまうことなく追い打ちをかける。
嘲笑をうかべながら小馬鹿にした口調で続ける。
「ご説明申し上げても所詮バカはバカ。田舎侍に理解できまい。」
浅野、怒りにうちふるえはじめるが、
高位の吉良ゆえ、ぐっとこらえて声を絞り出す。
「そこをなんとか、お願いいたす。」

吉良、ニヤッと笑いながら浅野に問う。
「先程、貴殿は『電信柱のような柱』と申されたな。」
「いかにも。」
「では聞くが、女のような奴、と申せばこれは女か否か。」
「はぁ?」
吉良の意表を突く問いかけに浅野は戸惑うが、
そんなことお構いなしに吉良は畳み掛ける。
「浅野殿、いいから答えよ。」
「…女にあらず。」
浅野は渋々と答える。
「では、牛のような生き物、と申せばこれは牛か否か。」
「牛にあらず。」
「夢のような出来事、と申せば」
「夢にあらず。」
「では、お聞きする。電信柱のような柱、と申せば」
「電信柱にあらず・・・。」
「おわかりかな?  
先程、貴殿が『電信柱のような柱』と申したがゆえに
あの柱は電信柱ではないということなのじゃ、ぬわぁ~はっは!」
「・・・。」

さんざん馬鹿にされた上に、
人を食ったような屁理屈しか返さぬ吉良に
怒髪天を衝く浅野だったが、
ふと何かを思いついたのか、
冷静さを装い、声を和らげ、みたび吉良に訊ねる。
「恐れながら。最後にもう1つだけ、お教え願いたい。」
「かまわぬが。」
「吉良殿は先程、女のような奴は女ではないと申されたが、
では、妾のような女、と申せば、これは妾か否か。」
「それは、妾でござる。」
浅野、してやったりの表情を浮かべながら
それでも冷静に、念を押すかの如く聞き返す。
「吉良殿、今何と?」
吉良、面倒くさそうに答える。
「妾のような女は妾以外の何者でもない。」

その瞬間、浅野の反転攻勢が始まる。
「では、お聞きする。妾のような女は妾、と申すなら、
電信柱のような柱、は電信柱ではないのか!」
それまで冷静風な態度を一転させ
これまで受けた屈辱を晴らすべく、
怒気に満ちた迫力で一気に吉良を圧倒する。
「いや、だから、その・・・」
答えに窮する吉良、浅野のあまりの勢いに腰砕けとなり、
その場にへたり込む。
「え~い、こっちが下手にでておればいい気になりおって!
さんざん馬鹿にした挙句、いい加減なことを申すとは、許さん!」
浅野、反撃の手を緩めず、腰の大刀に手をかけて更に凄む。
「あの電信柱のような柱は電信柱、そう申せ! 
数々の無礼を心から詫び、そう申せば、許す!!」
しかし吉良、必死に言い訳しながら弁明する。
「いや、あれは電信柱ではござらん!」
「この期に及んでまだそのようなことを!」 
ここで浅野の堪忍袋の緒がついに切れる。
「ならばあの柱は何なのじゃ!」
と絶叫しながら、ついに鞘から刀を抜く。



「あ、浅野殿っ! 電柱でござる!」






ちなみに電信柱は電話線・通信ケーブルを支える柱、
電柱は電気の線を支える柱なんだそうです。






【今週のおまけ】

赤穂浪士

      会いたかった~ 会いたかった~
      会いたかった~ イエイ!
      吉良に~♪
     
        Song By AKR 47 






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