まん丸、メジャーへの道 4

まことか、うそか、あること、ないこと、てきとうに。話半分でご覧ください。 

どうも。

ということで、いよいよ「アンドーナツ」。
三流亭まん丸でございます。

は? 安藤奈津? 

え? 面倒な奴?

あ~

年度末ね…。



さて、本日木曜日は第15回大喜利グランプリの結果発表の日でした。

 お題10 「我が生涯に一片の悔いなし」 ※ただし、( ? )を除く。

結果でおま。


【優秀作品】

★ サザエさんの最終回を見ることができなかったことを除く。 (第5位 20.2pt)


【次点作品】

★ 卒業式後にあの娘に自分の気持ちを伝えられなかったこと。
★ 現在、墜落途中のこの飛行機に搭乗してしまったこと。
★ モテ期が1回も無かったこと。


【番外・講評】

★ 若い頃にパーマや金髪など髪に無理させてしまったこと。
★ 1度も生アルパカに会えなかったこと。
★ 今、屋上で足を滑らせて地面めがけて落下していること。
★ 自らが開発した不老不死の薬の実験台になったこと。
★ 勇気を出して女子風呂を覗けなかったこと。


皆様方からの心温まる「ポチッとな」のお陰様で
第5位入賞&ポイント獲得することができました。
心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。


ということで、いよいよ「年度末」。
ただでさえ忙しい時期なのに、今年は消費税が8%に上がる前に
工事を完工させて支払いまで終わらせたいっていう注文が多くて
現場&書類&請求書作成といった仕事量が、いつもの年に比べて篠沢教授の倍率。
いや、更に倍! その篠沢教授に全部! みたいな状況。

反動が、4月になってからの反動が今からとても恐いですよ。

安倍さんも、後になって
「※ただし(あの時、消費税率を8%に引き上げる決断をしてしまったこと)を除く。」
と泣き事言わないように、しっかりと経済政策の舵取りをしていってほしいと思いますねぇ。
だって、近々選挙は無いですし、我々はもうお願いすることしかできないのですから…。


てなわけで、はなはだ簡単ですが本日はここまで。

  「年度末」とかけまして
  「にわか雨」とときます。

  そのココロは?
 
  「一旦、締める(湿る)。」




…忙しいにしても、今回は手を抜きすぎ。

一片の悔いなしどころか
全編、悔いだらけの内容ですねぇ。(苦笑)







以上 まん丸でした。



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学生の頃は野球バカだったが、実は結構本を読んでいた。
片道1時間半の通学時間、往復で3時間を読書に費やしていた。
2日で1冊、1か月で約15冊、1年で約180冊。
読書家といわれている方の足元にははるかに及ばないが、
それでも「趣味は読書です。」と答えても恥ずかしくないかもしれない。
本は知識の源であり、想像力や発想力を養い、日本語の語彙・表現力を豊かにする。

通学電車の中でスマホゲームに興じている学生の諸君、
諸君は、時間をただ無駄に浪費してはいないだろうか?
諸君は、自分を高める機会を逃してはいないだろうか? 

学生諸君、もっと本を読みなさい。


私が本にハマったきっかけは「八甲田山死の彷徨」(新田次郎)だった。
日露開戦前夜、雪中行軍演習と称して厳冬期の八甲田に挑み
大量遭難した青森5連隊と無事帰還した弘前31連隊を対比して描いた、実話に基づく作品だ。
学校から帰宅した時にテーブルの上に無造作に置いてあったこの本を
手に取って何の気なしに読み始めたのが、新田作品との出会いだった。
何度読み返してもワナワナと手が震えた。それから新田作品をむさぼり読んだ。
「剣岳~点の記」「聖職の碑」「アラスカ物語」「芙蓉の人」
「富士山頂」「火の島」「孤高の人」…
新田次郎は、大自然の猛威の前になすすべなく翻弄されながらも挑戦する人間の姿を描く。
時を変え場所を変え何度読み直しても、その度に描かれている世界観に圧倒させられる。


新田次郎の多くの作品もそうだが、私はノンフィクション(に近い)小説が好きだ。
それには訳がある。
例えば、第2次大戦時の海軍三羽烏と呼ばれた米内光政・山本五十六・井上成美、
この3人をそれぞれ主人公にした小説がある。
阿川弘之の「山本五十六」「米内光政」、宮野澄の「最後の海軍大将・井上成美」だ。
小説は、どうしても主人公主体、主人公目線で話が進み、
周辺の人物は主人公を引き立たせる役割として幾分損な役回りを務めることになる。
ところがである。
この3冊をシンクロさせて読むと、時代背景や情勢・状況が驚くほどよく見えてくるのだ。
わかりやすくいうならば、3人がそれぞれ主人公、それぞれ脇役となることで
3人の立場、他の2人の評価、関係性、言動への影響力といった部分がより鮮明になり
3人の人物像がより魅力的に多面的に理解できるようになるだけでなく、
その時起きた事象や事件も多方向から客観的にとらえることができるのだ。

同じような読み方は「海の史劇」(吉村昭)、「坂の上の雲」(司馬遼太郎)でもできる。
連合艦隊vsバルチック艦隊の日本海海戦を描いた「海の史劇」の読後に「坂の上の雲」を読むと、
大艦隊を率いて日本海へと大航海をしているロジェストヴェンスキー提督の姿と
そのバルチック艦隊をその日本海で迎え撃とうと待ち受けている秋山真之の姿が
同じ時間軸の上で重なり、小説では描かれていない部分が頭の中で相互補完され、
その世界観が無限に広がっていくのだ。
こういう感覚は、完全フィクションの小説を読んでいても体験できない。


また、史実や事実に基づく本との関り合いは、
私のモノの見方、考え方、大げさに言えば私の生き方にまで影響を与えた。
高校3年の時に古本市で全8巻・1000円で売っていた「小説吉田学校」(戸川猪佐武)を
まとめ買いをし、一気読みしたことが私の大学、進路学部を決めたのだ。
「小説吉田学校」は、フィクションが含まれているとはいえ
実在の人物が登場し実際に起こった事柄がほぼ時系列に沿って描かれているため
ノンフィクションといっても過言ではない小説だ。
内容は日本の外交史や政策史ではなく、総理・総裁の座をめぐる権力闘争を描いた物なのだが、
それでも日本のリーダーたちが繰り広げてきた戦後の日本政治そのものだ。
戦後日本を牽引してきたリーダー達の考え方や行動を知らずして
日本の戦後を総括し評価することができるのだろうか?
戦後日本を自分なりの尺度で評価できない者が、
これからの日本の将来像を語れるわけなどないではないか。
この思いが、私に大学で政治学を学ぶことを決心させたきっかけとなったのだ。
なぜか大学での専攻は現代中国政治論であり、
今は政治とはまったく無縁の職種についているが…。


ちょっと話がそれる。

ネットが発達した現代社会において、
「調べたければネットを使えばいい」という風潮が蔓延している。
だがネットは、不特定多数が情報発信者となり
その情報を垂れ流しているだけで、その真偽を検証することはない。
そういう責任の所在が明確でない情報を鵜呑みにしたり、
その時の風潮に流されて判断を誤らないようにするためには、
氾濫する情報を取捨選択する目を持つことが重要だ。
目、それは自分の言動の指針であり、
自己判断の拠り所となる確立された揺るぎない基準のことである。

これを見出すには本だ。本が最もふさわしい。
本を読んで何も感じない人はいない。
おもしろい、つまらない、良い、悪い、何かしらの影響を受ける。
様々な本を読めば、様々な影響を受ける。
そうこうしながら何冊、何十冊、何百冊、何千冊と読んでいくうちに
おのずと自分が共感するポイント、自分が心を揺さぶられるポイント、
その共通項がなんとなく見えてくるはずだ。
そして更に、何冊、何十冊、何百冊、何千冊と読み進めていくと
ぼんやりしていた共通項の輪郭が、次第に明確に見えてくるようになる。
それこそが自分の指針であり、揺るぎない基準であり、自分の存在そのものなのだ。
自分の中に立ち込めているモヤモヤの霧の中から自分という存在を見つけ出す、
これが本を読むということの意義だ。
それゆえネット社会が発達すればするほど、本を読む必要があるのだと私は思う。

通学電車の中でスマホゲームに興じている学生の諸君、
諸君の自己の言動の指針とは何か?
諸君の判断の拠り所となる揺るぎない基準とは何か? 

パズドラしてても答えは出てこないだろう。


元に戻そう。

私の本との関り合いは、
新田次郎から吉村昭・星新一・筒井康隆・城山三郎へと、
ノンフィクションからフィクションへと、
更にはエッセイ・書評・ドキュメント等々へと次々に広がっていった。
私の部屋には、そういったハードカバー・文庫本、その他の様々な本が
段ボール箱に詰め込まれて何個も積んである。
いつでも読みたいと思っている本ばかりで、
全部本棚に並べておきたいのだが、収まりきらないのだ。
いくら小遣いが足らなくなっても、ブックオフに持ち込むわけにはいかない。

私に小さい頃から「本を読みなさい」と調教された中1の長男は、無類の本好きになった。
どちらかというと作者・ジャンルを問わない乱読派のようだが、
伊坂幸太郎、重松清、東野圭吾、福井晴敏、京極夏彦などを暇さえあれば読んでいる。
期末テスト中でも読んでいる…って、おいおい。
最近は、私の部屋の段ボール箱を勝手に開け中から何冊か適当にピックアップし、
自分の部屋に持ち込んで読んでいるようだ。
私としては大歓迎だ。どんどん読んでもらった方が本も喜ぶだろうし
私がこれまでに読んできた本を子供達が読んでくれることは非常に嬉しく思う。

だが、ちょっと困ったこともある。
長男が持ち出した本は、私の部屋に返ってこないのだ。
いつの間にか長男の部屋の本棚に、無造作にボコボコと突っ込まれている。
本棚ならまだいい、床に平積みされていたこともある。
大事にしていた本なのに、こんな雑に扱いやがって!
と立腹することも少なくなくなってきた。

だ、か、ら!!!

だから、この大事な大事な本だけは、

死んでも長男に貸すわけにはいかない!!!!!




      中森明菜写真集

     「 中森明菜写真集 近代映画社増刊 」


明菜ちゃんのデビュー当時の貴重なビキニ姿がおさめられている、この本だけは…。







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どうも。

勝利の女神様にはあまり微笑んでもらったことのない、
三流亭まん丸でございます。

勝負時に、くだらない冗談ばかり言い過ぎて
ソッポ向かれてしまったようですねぇ…。


さて、本日木曜日は第15回大喜利グランプリの結果発表の日でした。

 お題09 勝利の女神が微笑む…って、どんな時?

結果です。


【優秀作品】

 …ノミネートなし


【次点作品】

★ 「第1印象から決めてました。お願いします!」と差し出した右手に、
   柔らかで温かな右手が触れた時。
★ 「神様、仏様」にお願いするチームじゃなくて、
   最初から「勝利の女神様」とお願いしてくれたとき。
★ 勝った方に「微笑んだ」わけで、負けた方にしてみれば「あざ笑われた」ともいえる。


【番外・講評】

★ 自分以外の7人が最初のハードルに足を引っ掛けて一斉に転んだ瞬間。
★ 5日間苦しんだ便秘が解消した時。
★ 自由の女神との口げんかに勝った時。


6本採用、まずまずの成績でした。
大喜利の勝利の女神様は愛想笑い、
そんな私は苦笑い、って感じ?


さて、勝利の女神様でございますが
ギリシア神話では、そのお名前は「ニケ」とおっしゃられます。
お気づきでしょうか?

 ニケ = Nike

Nike、英語読みすると「ナイキ」。
そうなんですよ、スポーツ用品で有名な「ナイキ」は
この女神様のお名前を拝借しているんですね。
ちなみにマークは、ニケ様の背中に生えている翼をイメージしたもの。
なるほどねぇ。

思い返してみると Nike は今から30年ほど前、
私の学生時代に急速に広まっていったような印象があります。
バスケシューズの Nike のエアジョーダンでしたっけ?
大流行しましたねぇ。

右見ても左見ても Nike のエアジョーダン。

こりゃ失礼。
当たり前のことを言ってしまいました。
「片手にピストル、心に花束、唇に火の酒、背中に人生を」
のジュリーならともかく、普通の人が
右足にエアジョーダン、左足にアディダスを履くわけがないですから。
例えの表現が的確じゃありませんでしたので言い換えるとしましょう。

猫も杓子も Nike のエアジョーダン。

これも失礼。
靴を味噌汁すくう杓子がわりにするわけがないし、
だいたい猫は靴を履くわけがない。 
もし100歩譲って猫が靴を履くとするならば
 Nike ではなく、 Mike ですしねぇ。

…空気のような冗談でした。


ということでおしまい。


「勝利の女神」とかけまして
「引っ叩かれて喜ぶ人」とときます。

そのココロは?

「微笑む( ほぼ M )でしょう。」





以上 まん丸でした。



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どうも。

【問題】 「不運が次から次へと重なること」という意味のことわざ。
      泣きっ面に(   )とは?

三流亭まん丸でございます。

 泣きっ面にハチ

ブッブー、不正解です。
大声で泣き叫び涙でグシャグシャの顔になんか
恐れをなしてハチは刺しになんかきません。
ということで正解発表です。
 
「うっせーな! いつまで泣いてやがんでぇい!」  バコン!

はい、もうおわかりですね。
 
 泣きっ面にパンチ 

でした。


さて、アイアム花粉症、ドゥユーノウ?
毎年この時期は、鼻からとめどなく流るる汁と
それを阻止せんとするティッシュの鼻栓との激しい攻防戦が
繰り広げらている日日なのであります。

と、こ、ろ、が!! 
先日、左の鼻の穴の中におできができてしまいまして。
鼻からは水のような鼻水が垂れる、
鼻栓をしようと丸めたティッシュを突っ込む、
おできにティッシュがあたる、

 おでき、カンゲキ~!!

と飛び上がるほどの激痛に襲われる、なぁんてことに。
もちろん痛くて鼻をかむこともできません。

もうなすすべもなく鼻からは鼻水がツーッ、
おまけに目からとめどなく溢るる涙が頬をルーッ、
これがツルという名の由来でございます。

え~、このネタのどこが面白いのかと申しますと…


鼻水と涙でグシャグシャになった顔がもはや
「鼻水と涙の、夢のスプラッシュマウンテンや~!!」てな具合で、
ほんとにもぅ、た~いへんなんすから。

ま、今の私にしてみれば
「泣きっ面にパンチ」というよりは

 花粉症におでき

って感じですねぇ。


いやぁ、それにしても今回は
某ファミレスのアメリカンコーヒーみたいな薄くて水っぽい内容でしたねぇ。

あ、鼻水の話だからいいのか。

ど~もスイマセン。





以上 加山雄三でした。


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近所に私立の高校がある。
というかすぐ横、フェンス1枚隔てた向こうにある。
2階からは校内の様子が丸見えであり、
中で何が起こっているのか手に取るようにわかる。
幼稚園が併設されているが校地はとても狭い。

その高校には、昔からスペシャルなおバカ達が通っているが、
不良達の巣窟というわけではなく、むしろその手の生徒は皆無だ。
あ、最初に断っておくが、「偏差値が低い=おバカ」と言っているわけではない。
偏差値が仮に30台でも、爽やかで明朗活発ではっきり挨拶ができて
清潔で整った身だしなみをした素敵な高校生はたくさんいるし
偏差値が仮に30台でも、そういう生徒達が通う高校はたくさんある。
そういう高校はキチンとした知と心の教育をしている素晴らしい学校であり
そこに通っている生徒達を「おバカ」とは決して言わない。
予備校や塾が勝手に定めた偏差値なんぞ、
人間や高校の価値を測る指標になるわけがないのだ。

私が言う「おバカ」とは、常識を知らない、公共という観念を全く持たない、
自分の事しか考えられず協調性が全く無い、反応が鈍いを超え驚くほど無い、
あまりにもだらしなくて不快感を感じる…、そういう類のことをいう。
つまり、どんなに偏差値が70を超えていたって
上記に該当するような奴は「おバカ」なのだ。
この高校の生徒は、昔から、そういう「おバカ」があまりにも多いのだ。
「おバカ」の前に超がつき、その超が5つも6つも累乗されている
といっても過言ではないだろう。

毎朝繰り広げられる登校時の光景。
「朝当番」という腕章を付けたおバカ達が約3m間隔でトラロープを持って並び
校門前の4m弱の幅しかない道路の半分を約40mに渡って仕切る。

なるほど、登校するおバカ達が横一列になって道いっぱいに広がることを防ぎ
ご近所の皆様のご迷惑にならないようにしよう、という配慮なのだろう。
がしかし、よく考えてみてほしい。
本来ならばおバカ達を、横一列に広がらずに道を歩くように徹底的に指導すべきであり
無断で道路の半分を仕切って強制的にその中を歩かせても問題の本質は解決していない。
メタボ検診に引っ掛からないように普段から運動や食事管理すべきなのに
普段は何もせず腹囲測定の時だけお腹を引っ込ませてクリアしようとし
仮にクリアできたとしてもメタボであることは揺るぎない事実…、それと全く同じである。
おバカ生徒達はロープ区間以外は、横一列で道一杯に広がって歩くこと必至だ。
生徒達だけでなく、この高校も相当「おバカ」といえよう。

話を戻そう。
登校時間にまだ余裕がある時間帯は仕切ロープのお陰で混乱がないのだが
遅刻スレスレのおびただしい数のおバカ達が
校門めがけて猛ダッシュで殺到してくる8時30分頃になると状況が一変する。
なんと、朝当番のおバカ達は全く躊躇することなくロープを持ったまま後ずさりし、
道幅一杯にまで通路エリアを拡幅させてしまうのだ。
当然この間は、ご近所の皆様はその道を通ることができない。

朝当番の諸君、いったい何を考えているんだ!!
君たちは何の目的で道路をロープで仕切っているんだ?

…あ、何も考えてないか。

それでも朝はまだいい方で、本当に困るのは学校帰りだ。
学年や部活によって下校時間がマチマチのなので、
帰りは道路をロープで仕切る当番がいない。
となれば無法地帯、惨状は火を見るより明らかであろう。
横一列に並んでお喋りしながらノロノロと歩くおバカ達によって道路は塞がれ
最寄りの駅までそれが延々と続くのだ。

…Gメン75かっ!

後ろから歩いて来たオッサンが前に進めずしびれを切らして
「おい、ちょっとどっちかに寄ってくれよ!」と注意するのは日常茶飯事のことで、
そんな時でもおバカ達は「何騒いでんの?このオッサン」みたいな怪訝な顔で振り返り、
「すいません」の一言もなく、人ひとりやっとこさ通れるスペースをノロノロとあけるのだ。
必要最低限のスペースしかあけない為、追い抜く時は肩同士が触れるか触れないか、
本当に紙一重である。

…ホセ・メンドーサの「見切り」かっ!

1か月程前のことだ。
私が仕事用軽自動車を運転していると、
前方に車の進行方向と同じ方向に歩いている横一列・ノロノロのおバカ生徒達を発見した。
スピードを落として近づいていったのだが、
普通ある程度の距離まで接近すれば背後の気配を察して道をあけると思うのだが、
やはり全く道をあけようとはしなかった。
クラクションを何度か軽くプップと鳴らしても事態は一向に変わらなかった。

おバカ達の後ろ3m位にピタッとついたまま10mくらい追走したところで
普段仏様と言われている私の堪忍袋の緒がとうとうブチッと音を立ててキレてしまった。
「いい加減にしろよ! お前らまとめて仏様にしてやろうか!」
まさか、おバカ達をボーリングのピンみたいになぎ倒して、
本当の仏様にするわけにはいかない。
鈴木亜久里のような流れるような手さばき・足さばきを駆使し、
クラッチを踏み込みトランスミッションをニュートラルにし
ブレーキペダルをギュッと踏み込んだ直後、
おもいっきり右足でアクセルを踏み込んだ。

 ぶおおおーん!!

さすがにおバカ達もぶったまげたのだろう。
驚きすぎのあまりピクピクひきつった顔で振り返り、
歩いていた時の1000倍くらいのスピードで道をあけ、
この時は万事解決、一件落着となった。

先日のことだ。
全く同じように仕事用軽自動車に乗り、
全く同じシチュエーションに出くわし、
全く同じ過程を経て、
全く同じようにキレてしまった私は
1か月前と同じように

 ぶおおおーん!

とエンジンを空ぶかししてやった。

おバカ達は歩くスピードとほぼ同じスピードでノロノロと道をあけた。
こちらを振り向きもせず、全く驚いたそぶりもみせなかった。

…ふんっ! おバカ達もちょっとはお利口さんになってるじゃないか。


以上が、おバカ達の登下校光景だが
学校生活では更にスパークしたおバカぶりを発揮しているらしい。

2階の女子更衣室を覗こうとして幅30cmほどの庇に飛び移り下りれなくなったおバカ。

この事件後、女子更衣室は3階に移設されたのだが、
数年後に雨樋を使って3階までよじ登ったおバカがいたそうだ。
現在女子更衣室は窓の無い地階にあるそうだが、
今在学中のおバカは、この難関をどう攻略するつもりだろう。
きっと驚くほどの才能を発揮し必ずや攻略するものと確信している。

屋上から休み時間ごとに「ブラジルの皆さん、聞こえますか~!」と叫ぶおバカ。

ちょっと前は、「ゲッツ!!」と叫ぶ声が聞こえていた。
その前は「アイーン!!」だった。
屋上から大声で叫ぶのは伝統なのだろうか?
それともここを世界の中心とでも思っているのだろうか?
世界の中心でアイーンを…、やめておこう。

その他にも信じられないような恥ずかしすぎるエピソードがたくさんあるのだが
枚挙に暇がない為、この辺で終わりにしておこう。


さて、ここまで読まれた方の中になぜ私が「この高校についてこんなに詳しいのか?」
という疑問をお持ちの方もいらっしゃるだろう。
お答えしよう。
もちろん近所ゆえに直接見聞きしたこともあるが、
最も大きな理由は私がこの幼稚園OBであり、その時の先生方がまだ数名残っていらっしゃって
今でも道でお会いした時は、挨拶がてらの井戸端会議をしているからだ。
もう、まるで見ていたかのようなリアルな情報が入ってくる。

また、そんなおバカな高校に併設されている幼稚園OBで「恥ずかしくないのか?」
というご質問には、キッパリと「恥ずかしくない」とお答えする。
何を隠そう幼稚園は業界内やご近所からは名門中の名門という評判なのだ。


ただ、恥ずかしいこともある。


おバカな伯母が、おバカ高校のOGなのだ。







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Author:三流亭まん丸
しれ~っと戻ってまいりました。

ちなみに、「三流亭」を名乗られる諸先輩方とは
何も関係ありません。

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