まことか、うそか、あること、ないこと、てきとうに。話半分でご覧ください。 
2015年04月06日 (月) | 編集 |
4月4日に皆既月食があった。

皆既月食は皆既日食と違い結構な頻度で見ることができる。
調べてみると2050年までに、あと21回日本で見ることができるのだ。
だが、今回はとても貴重な皆既月食だった。
満開の桜だ。

調べてみると2050年までに東京で
皆既月食と桜のツーショットが拝める可能性があるのは
2033年4月14日、2043年3月25日の2回しかない。
ただ前者は葉桜、後者は開花前かもしれないため、
皆既月食&満開の桜という組み合わせは今回限り。
つまり私が生きている間ではもう2度とみることができないのだ。

その奇跡のコラボだが、
東京では全く見ることができなかった。

何が起こったのか、わかりやすく図解するとこういうことだ。




花見・月見で一杯



そこへ・・・



        
雨




私の頬を一筋の悔し涙が流れた。




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2015年04月04日 (土) | 編集 |
私は単なる自営業のオッサンだが、
それでも同業者5人集まって酒飲めば
それぞれの裏付けのない主義・主張やくだらない考えをぶつけあって
それを肴に二日酔いどころか三日酔いできるほど大いに盛り上がる。
事の良し悪しなど酔っ払ってる分際で判断できないが、
それでも、そういう考えもあるんだなぁと気づくこともできるし
自分が悩んでいることの解決のヒントになったりすることもある。
酒飲みながら腹を割って言いたいことを言い合う。
何とも古臭い手法だが、相互理解を深め、
より良い関係を築くためにはもってこいの方法だと思う。
でもいくら酒を飲んでも、同じ考えや意見ばっかりだったら
「そうなんだよなぁ」で話が済んでしまい、
場が盛り上がらずに、すぐに「もう、帰ろうか」なんてことになりかねない。
相互の理解は深まらず、つまらない。

最近、テレビや新聞らが報じるニュースがつまらないと感じるのは、
これと同じ理由だ。
昔は、テレビ局や新聞社で結構特徴的な独自の色があって、
1つの事象に対して各社ごとに、社としての見解が示された。
新聞を読み比べたりすることで、
その事象についてさまざまな見方があることを知り
そのおかげでより深く理解することができ、面白かった。
でも今は、どこの何を見てもほとんど同じことをいっている。
これはあまりにも不自然ではないか?
酔っ払いが5人も集まれば、1人くらいはアマノジャクがいて
重箱の隅をつっついてちっちゃなアラを探し出し
それに尾をつけヒレをつけ、膨らませるだけ膨らませて挙げ足取りして
勝ち誇ったようなツラしてイチャモンつけるっていうのに、
それよりも遥かにスケールがデカく、
つつける重箱の隅だって限りなくたくさん存在する日本経済・政治に対して
メディア各社が揃いも揃って右へ倣えで
同じような1つの方向性・内容でしか伝えていないのは、
やはりどう考えてもおかしい。
イエス・ノー、賛成・反対、いろいろな立場のいろいろな意見があるはずだろう。

1つの事象を1つの方向からしか見ないというのはとても危険なことだ。
たとえば「上から見ればマル」という情報しか与えられなければ
その物体は「球」である、と判断しかねない。
実は円錐や円柱かもしれないというのに、だ。

メディアの報道も全く同じことが言えるわけで
1つの事象をいろいろな角度、様々な視点、異なる物差しで推し量り、
分析し、論じないと、その事象の本当の本質が見抜くことができないばかりか、
その良き点、悪しき点をあぶりだすことができない。
それはすなわち、メディアの報道から情報を得ている我々国民が
我々国民の為に行われているはずの権力側の様々な施策に対して、
深く理解し、議論し、判断することができない、ということにつながる。

メディアの役目というのは、
権力側が施す事象に対して、我々国民が判断を下すための様々な材料を
公平性を保ちながら正確・明瞭・迅速に提示することにある。
そのためには、権力側に決して組してはならず、
一定距離を置き独立していなければならないはずだ。
だが今現在、どうであろう。
言葉は悪いが、大本営発表を礼賛しているだけではあるまいか。

どういう理由があるにせよないにせよ、
権力側の発表をその意に沿うような形で伝えるだけというのは、
権力をチェックし暴走を食い止める四権の一つを担うという
「ペンは剣より強し」の矜持を自ら放棄していることにならないだろうか?
もっと厳しい言い方をするならば、自ら権力側の、
国民を洗脳するためのアイテムに成り下がってはいないだろうか?


メディア報道の在り方について・・・


重箱の隅をつっついてちっちゃなアラを探し出し
それに尾をつけヒレをつけ、膨らませるだけ膨らませて挙げ足取りして
勝ち誇ったようなツラしてイチャモンつけちゃいましたぁ~!!

だってねぇ、今晩は組合の新年度の初会合があってねぇ
ひっさしぶりにお酒飲んじゃったもんで、もんで、モンデール駐日大使。

あ~楽しかった!!



じゃ、おやすみ!





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2015年04月02日 (木) | 編集 |
どうも。

昨日はエイプリルフールでした。
三流亭まん丸でございます。

ということで、昨日の記事は真っ赤なウソ。
新年度になりましたし、今日から心入れ替えて、
新たなるスタートですねぇ。


東京の桜も満開となりました。
それ、すなわち、スギ花粉症の最盛期でもあるわけです。
ただでさえ借金で首が回らないというのに頭も回らず、
新たなスタート!っと言っておきながら
そういうときは過去ネタを使い回す、ということで・・・。

以下、570回の記事でございます。

    ↓    ↓


私、小4の時からもうかれこれ30年以上も
花粉症と付き合っているんですが

 今年はひどい!


 本当にひどい!


薬のお蔭で鼻の症状は平年並みなのですが、目が…。
ちょっとでも目のあたりに触れるともう、
目ん玉とりだして流水でじゃぶじゃぶ洗いたいくらい、
モーレツにかゆい。

かゆくてかゆくてたまらなくて
どうしても我慢できなくて
目をくちゅくちゅしてしまうもんだから
目が腫れて「岸部一徳」になっちゃってます。

岸部一徳の目

一応、念のために言っとくけど、
本来は「切れ長の涼しげな目(でもちょっと優しげ)」と評判なんですよ。
例えて言うなら「田辺誠一」…。

田辺誠一の目

…今のは、せい一杯のウソでした。

それにしても、なんとかなりませんかねぇ。
田辺誠一の目が岸部一徳になっちゃったら、
はっきり言って顔のバランスが崩れて…

「きゃあ~!! このおじさん、顔が変なんです!」



 カッフンダ!! 


 
だっふんだ



花粉症で目もひどいけど
今回の記事の内容もひどいですねぇ・・・。(苦笑)

    ↑    ↑


いやぁ、改めて読み直すと
この記事の内容はひどスギますねぇ・・・。(苦笑)



以上 まん丸でした。


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2015年04月01日 (水) | 編集 |


平成27年4月1日。
一人の男が、いわゆるひとつのピリオドを打とうとしていた・・・。


         
セレモニー


平成21年、拙ブログ「まん丸、メジャーへの道」を開始して以来、
今日まで6年間、「まん丸、メジャーへの道」ならびに三流亭まん丸のために
絶大なるご支援をいただきまして誠にありがとうございました。

皆さんから絶大なるご支援、熱烈なる応援をいただきまして
今日まで私なりに一生懸命ブログを続けて参りましたが、
今ここに、やる気・根気・元気の限界を知るにいたり、
「まん丸、メジャーへの道」の終了を決意いたしました。

ふりかいりみますれば、6年間のブログ生活、いろいろなことがございました。
記事をひとつひとつ読み返す時に、
好調時には、
皆様の激しい大きな拍手をいただきこの三流亭まん丸のやる気をさらにかりたて、
また不調の時には、
皆様の温かい「ポチッとな」が今日まで私を支えてきました。


         
栄光の背番号は三流亭の3


我が「まん丸、メジャーへの道」は記事数1000回を目ざして
やる気・根気・元気一体となり死力を尽くして
最後の最後までベストを尽くして書いてまいりました。
しかし、ボケここに浮かばず、1000回達成の夢は破れ去りました。


「まん丸、メジャーへの道」は今日ここに終了いたしますが、

三流亭まん丸は永久に不滅です。


今後、微力ではありますが、大喜利の新しい歴史の発展のために、
栄光ある大喜利グランプリでの明日の勝利のために、
今日まで皆さま方からいただいたご支援、ご声援を糧としまして、
さらに前進して行く覚悟でございます。

長い間、皆さん、本当にありがとうございました。


      
さらば、栄光の背番号3






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皆さん、もうお察しがついているとは思いますが・・・

メジャーリーグのグラウンドに立つ夢が実現するまでは
「まん丸、メジャーへの道」は永久に不滅です!!

今後とも、どうぞご贔屓の程を。




2015年03月30日 (月) | 編集 |
「お父さん、社会の宿題、教えてくれる?」
「何がわからないんだい?」
「憲法って何?」
「憲法っていうのは、国の統治の基本原理、
その組織と権限について定めた最高法規、かな?」
「難しくてよくわかんない。」
「その国に住んでいる人達の権利や自由を守るために
国がやってはいけないことについて、
国民が決めた一番重要な基本になる法律のこと、かな。」
「・・・なんとな~く、わかったような気がする。」
「じゃ、今度は、国語の宿題、教えてくれる?」
「いいよ、何?」
「矛盾っていう言葉なんだけど・・・」
「矛盾か。そうだなぁ。
たとえば、どんな剣の攻撃も通用しないバリアーと、
どんなバリアーも突き通す剣、どっちが強い?」
「剣?・・・いやバリア、いや剣? ん?! それ、おかしいよ!」
「そうだよね。そういうのを矛盾って言うんだ。」
「なるほど!じゃ、時間は貴重だから大切に使いなさいっていう
校長先生の長~い話は矛盾しているってことか!」
「あはは! そうだね。」
「ロン毛のお坊さんとか・・・」
「うん、うん」
「絶対に切れない電球を売る会社とか・・・」
「そう、そう」
「おすぎの顔したジャニーズJr.とか・・・」
「それ、いいね。」
「集団的自衛権とか・・・」
「・・・へっ? 」
「憲法9条には戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認が謳っており、その条文を文面通りに解釈すれば、その通りにしか受け取れない。だが朝鮮戦争や東西冷戦の激化など日本を取り巻く国際情勢から自分の国を守るための実力組織が必要となり、警察予備隊が創設された。警察予備隊は、保安隊、そして自衛隊へと発展的に改組されたが自衛隊の存在は戦力不保持を掲げる憲法9条に対して矛盾している存在ともとられかねないため、国家固有の権利として自衛権を認めるという国連憲章第51条を持ち出し、自衛隊を安定的に存在・運用するための根拠を導き出した。憲法9条と国連憲章51条の整合性をはかり今日まで続いた憲法解釈、これがすなわち

日本は憲法9条により、他を侵略する目的の戦争は永久に放棄する。そのための戦力は保持せず、そのための交戦権は認めない。だが、憲法条文には明文化はされてはいないが、国連憲章でも認められている国家固有の権利である自衛権は当然日本も保持している。ゆえに日本は2つの自衛権、「国を他の国からの武力攻撃から防衛する権利」である個別的自衛権と「他の国が武力攻撃を受けた場合、これに密接な関係にある国が被攻撃国を援助し、共同してその防衛にあたる権利」である集団的自衛権の両方を持ちあわせている。ただ憲法の制約上、日本に対する直接的な武力攻撃から日本を守るための最小限度の範囲の個別的自衛権しか行使せず、集団的自衛権は行使しない。

である。
この解釈により自衛隊は、国家固有の権利である自衛権のうち個別的自衛権を行使する為の実力組織として存在するので憲法違反ではないという、存在の安定的根拠を得、運用されてきたのだ。
だが、今、他の国を守る為に自衛隊が集団的自衛権を行使できるとすることは、個別的自衛権を行使するための実力組織ゆえに憲法違反ではないという自衛隊存在の根拠を根底から覆すことにはならないだろうか。
つまり自衛隊の存在が憲法違反でないならば集団的自衛権行使は認められず、集団的自衛権を行使するならば自衛隊の存在は憲法違反になる。
ゆえに現行憲法においては、自衛隊の存在の根拠と集団的自衛権の行使容認は矛盾している。」

「・・・。」

「憲法改正以外には、この矛盾を解消できません。」

「・・・。」

「第九十九条に

天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

とあるから、国務大臣は現行憲法を尊重し擁護する義務が科せられているわけだし、国務大臣で構成される内閣、そのトップである内閣総理大臣も当然同様の義務を負っていることはいうまでもない。

また第九十六条に

この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

第二項

憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。


とあることから、国会を構成する国会議員は99条にある憲法尊重擁護義務を負っていながらも、厳粛な信託によって選ばれた国民の代表者であるという理由から、尊重擁護しつつ必要に応じて改正することを発議する権限のみは与えられていることがわかる。
ただし、ここが重要なのだが、国会の権限は現行憲法の改正発議権限であり、現行憲法の破棄につながるまったく新しい憲法の内容を議論したりその制定を発議する権限は、どこをどう読んでも書いておらず、すなわちそんな権限は国会でさえ、与えられていない。
そしてもう1つ重要な点はこの改憲発議の権限は、国会だけに与えられた権限でありどこをどう読んでも、内閣、もちろん内閣総理大臣には与えられていない。
もう一度書く。 

内閣総理大臣には改憲発議の権限はない!

つまり安倍首相が一国会議員としてではなく、内閣・内閣総理大臣としての立場で改憲する意志を示せば、これは憲法99条の憲法尊重擁護義務違反であり、 また国会議員達が改憲ではなく新憲法について国会の正式の場で議論した場合、国会は憲法第96条違反、それに加えて国会議員は第99条の憲法尊重擁護義務違反にもなる。
まとめると、安倍首相が内閣として憲法改正を目指すのは憲法に対しての矛盾であり、国会議員達が改憲ではなく新憲法について議論するのも、憲法に対しての矛盾である。

・・・どうしたの? お父さん。呆気にとられちゃって。」

「なぁ、お前自体、矛盾してないか?」




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